お遍路で考えたこと④ 続「無縁」考 №538

お遍路で考えたこと④続「無縁」考
令和元年5月17日

 前前号で無縁とは何かと申し上げました。その折、「君たちはどう生きるか」のコペル君の話をしましたね。デパートの屋上から下を眺めていたコペル君が「その下には疑いもなく何十万何百万の人間が思い思いの考えで思い思いのことをして生きている」ことに「人間は水の分子みたいなものだ」と実感したのでした。

 私たち一人ひとりが「水の分子」だとすれば見かけは無縁、思い思いの考えで思い思いに生きているとしてもそれは分子の網目の中のこととなります。コペル君が人間は水の分子のようだと気づいたことは天動説から地動説になったことだと言うコペル君のおじさんの考えを敷衍すれば人はみな有縁と言えるでありましょう。

 人間は水の分子、という思いに立てばこの人間世界を湖に譬えることが出来ましょう。Kさんは日常的には無縁であっても「無縁の人の死の近縁の人の哀しみが何らかの形で自分に影響すると思う」と言われましたが、それは人間世界の湖に起きた波紋と言えるのではないでしょうか。 

 波紋は波紋が起きたところで大きな丸い波が立って同心円状に広がって行きます。初めは大きくはっきりしていた波も次第に小さく弱くなりやがて見えなくなります。しかし、波紋は消えることはないのだと思います。目に見えないほど微弱になっても波紋は湖全体に広がっていくに違いありません。無縁の人の哀しみも波紋の広がりにあるに違いありません。

 話が飛びますが人間の感情、喜怒哀楽はエネルギーだと思います。嬉しい楽しい悲しい悔しいという感情はすべてエネルギーだと思います。ある人が喜ぶある人が悲しむ。その感情のエネルギーが人間世界の湖に波紋となって広がっていく。強弱はあっても誰しも影響は受ける。それがKさんがおっしゃることではないでしょうか。

 そう言えば訳もないのに気が沈むとか何とはなしに楽しい気分になる時ってありますよね。あれってどこかの誰かの悲しい気持ち楽しい気持ちが波動波紋となって自分に届いたのではないでしょうか。その人といると何となく楽しくなるというのも波動波紋に違いありません。私たち人間は相互に影響し合っている存在なのです。


君が笑えば 僕も楽しいの

僕が笑えば 君も楽しい
 
 ~そよ風ヨーグルト「いっしょに笑えば」~



 

お遍路で考えたこと③お遍路考 №537

お遍路で考えたこと③お遍路考
令和元年5月16日

 お遍路はいつ誰がしたらよいのか。いやそもそもお遍路とは何なのか。今回はそのことを強く考えさせられました。その理由の一つは同じ歩き遍路に会わなかったことです。例年であれば少なくも二三人は歩いている人がいるのに今回は一人も会わなかったのです。

 日本人には会いませんでしたが、電車の中で遍路中というオランダ人女性には会いました。同行のKさんはお遍路外人とみるといつも気さくに話しかけされますが、それによるとその女性はアジアや日本に関心を持ってお遍路を知ったと言います。歩き遍路を主にしているとのことで30㎏はあろうかというリュックの重さも全く気にしていないようでした。

 近年外国人のお遍路はよく見かけるようになりましたが、反対に日本人のお遍路はあまり見ないように思います。これは何を意味するのでしょうか。今回会ったオランダ女性も歩いているうちに何かを考え何かに気づいたことでありましょう。お遍路が人生道場であることは日本人も外国人も変わりはない思います。

 先日(56日)の毎日新聞「余録」にこんな話が載っていました。国立がんセンターの名誉総長、垣添忠生さんが奥さんを亡くして涙にくれる日から七年、慰霊の思いで始めたお遍路がいつしか妻への感謝のお遍路になったと言うのです。垣添さんは歩き始めてすぐ「妻は日々私とともに歩いてくれていたのだ」と気づいたと言います。

お遍路で何を考え何に気づくかは人それぞれです。お遍路は人それぞれです。楽しいお遍路もあるでしょうし苦しいお遍路もあるでしょう。大切なことは人それぞれのお遍路で何を考え何に気づくかです。その考えたこと気づいたことこそその人の人生のヒントです。人生のヒントは自ら探し出すものです。その探し出しがお遍路と言えるでありましょう。

私の師匠の弟子はお遍路に行くことが決まりのようになっています。私も弟子のひとりとしてお遍路に行きましたが、そのお遍路で私はお大師様の実在と人情の有難さを知って仏の存在、人間という存在を改めて考えることができました。こればかりは遍路しなければ分からない、歩かなければ分からなかったと思います
 
 
 お遍路の四国異次元異界なり
 人みな遍路で人生を知る
 

 
 
 
 

お遍路で考えたこと② 「無縁」考 №536

お遍路で考えたこと②「無縁」考
令和元年5月10日

 お遍路に行って毎回思うことは「ここにも人が住んでいる」ということです。とりわけ山里など町から離れたところを歩いている時など「こんなとこにも…」と、我が身を棚に上げての恥知らずな思いにさえなります。

今回のコースは山里ではありませんでしたが思いは同じでした。電車の沿線や沿道には軒を連ねて沢山の家が建っています。そしてそこには私が知らない沢山の人たちが住んでいます。顔も名前も知らない多くの人がそこに暮らしています。恐らくは一生会うこともない人たちがそこに住んでいます。自分にとってはまさに無縁の人たちです。

とすると、その無縁の人たちはあくまで無縁の人たちなのでしょうか。顔も名前も知らない人たちですがその人たちもその多くは日本国民でありましょう。住んでいる場所こそ違えこの日本で令和という時を生きている同時代人なのです。縁というものを広く考えれば同国民同時代人というだけで無縁ではないという気もします。

昨年再び脚光を浴びた吉野源三郎さんの名著「君たちはどう生きるか」にコペル君がデパートの屋上から下を眺めて「人は水の分子と同じ」と気づくところがあります。四月の花祭りの法語に「水在水中互切磋 人在人中相琢磨(水人相見互いに心を磨く)」と書きましたが、水の分子も一分子だけでは水としての働きをなし得ないに違いありません。

 考えてみれば私たちが日常的に顔を合わせ言葉を交わして過ごす人はごくごく僅かです。日本国民一億人の中の何百万分の一でしかありません。一億人の大半は見かけは無縁の人たちです。しかし、その多くの無縁の人たちがいなければ国も社会も成り立ちません。まさにコペル君が気づいたように一人ひとりが分子の働きをしなければ人間社会は成り立たないのです。

 今回同行のKさんにお考えを尋ねましたらKさんは「無縁の人の死の近縁の人の哀しみが何らかの形で自分に影響すると思う」と言われました。まさに仏教的と言うべき深い考えにハッとさせられました。人間同士の有縁無縁はKさんが言われるように魂の問題として捉えるべきかも知れません。
 
 
  人間生まれるのも縁、
 老いるのも縁、病も縁、
  そして死ぬのも縁

 
 
 
 
 
 
 
 

お遍路で考えたこと①「無理やり」考 №535


お遍路で考えたこと①「無理やり」考
令和元年5月8日

 またお遍路に行ってきました。先月23日~26日まで松山市と高知市の七か寺です。今回はこれまでのような徹底した歩き遍路ではなかったのですが私には行く前から大変不安なことがありました。脚力です。楽なコースとは言えきちんと歩けるか非常に不安だったのです。

 私が筋痛症のために服用しているステロイドの副作用の一つに筋力の低下があります。ま、自分の場合は運動不足が原因と言った方が当たっているのかも知れませんが、ともあれ自身この一年痛感しているのが脚力の著しい低下。寺の僅かな階段の上り下りにもフーフーしているのですから階段また階段のお遍路に不安は当然でありましょう。

 で、私は歩くことが難しくなったら車か電車を使うことにして同行の二人にそれを了解して貰いました。迷惑を最小限にするにはそれしかありませんでしたが、今回のお遍路は同行の一人と私の十数年振りの再会記念でもありましたので二人とも快く私の甘えを受け入れてくれました。はてさてどうなるかおっかなびっくりのお遍路の始まりです。

第一日は伊予鉄道鷹ノ子駅から48番西林寺。続けて49番浄土寺50番繁多寺51番石手寺と回る10㎞足らずの道のりです。足に不安がなければ何と言うこともない距離です。しかし、私の足は初めから違和感を訴えていました。痛みはありませんでしたがしびれに近い重さで自分の足ではないような感覚を覚えざるを得ませんでした。

 私はその自分の足の感覚を無視しました。痛みに襲われるかも知れませんでしたが、それは考えずに歩きました。それは恐らく「無理やり」だったと思います。しかし、お遍路に来た以上は歩くしかありません。歩けなくなるまでは歩かなければなりません。言うほどに悲壮なものではありませんが無理を承知でのお遍路でした。

 ところが、何と幸いなことに私は足に違和感を覚えたまま三日間歩くことができました。終わって一番の感想は「たまには無理もいいもんだ」です。とかくいまは安全第一に「無理するな」という時代ですが無理と思えることもやってみれば存外思い通りに出来てしまうこともあるのではないでしょうか。
 
  若い皆さん、のっけから
 「ムリムリ!」はやめようね