令和元年5月17日
前前号で無縁とは何かと申し上げました。その折、「君たちはどう生きるか」のコペル君の話をしましたね。デパートの屋上から下を眺めていたコペル君が「その下には疑いもなく何十万何百万の人間が思い思いの考えで思い思いのことをして生きている」ことに「人間は水の分子みたいなものだ」と実感したのでした。
私たち一人ひとりが「水の分子」だとすれば見かけは無縁、思い思いの考えで思い思いに生きているとしてもそれは分子の網目の中のこととなります。コペル君が人間は水の分子のようだと気づいたことは天動説から地動説になったことだと言うコペル君のおじさんの考えを敷衍すれば人はみな有縁と言えるでありましょう。
人間は水の分子、という思いに立てばこの人間世界を湖に譬えることが出来ましょう。Kさんは日常的には無縁であっても「無縁の人の死の近縁の人の哀しみが何らかの形で自分に影響すると思う」と言われましたが、それは人間世界の湖に起きた波紋と言えるのではないでしょうか。
波紋は波紋が起きたところで大きな丸い波が立って同心円状に広がって行きます。初めは大きくはっきりしていた波も次第に小さく弱くなりやがて見えなくなります。しかし、波紋は消えることはないのだと思います。目に見えないほど微弱になっても波紋は湖全体に広がっていくに違いありません。無縁の人の哀しみも波紋の広がりにあるに違いありません。
話が飛びますが人間の感情、喜怒哀楽はエネルギーだと思います。嬉しい楽しい悲しい悔しいという感情はすべてエネルギーだと思います。ある人が喜ぶある人が悲しむ。その感情のエネルギーが人間世界の湖に波紋となって広がっていく。強弱はあっても誰しも影響は受ける。それがKさんがおっしゃることではないでしょうか。