平和を祈る日清観音 №654

 平和を祈る日清観音

令和3年10月18日

 1971918日に日清食品のカップヌードルが発売されて今年50年と言います。その記念すべき今年、先日14日、日清食品下関工場の観音さまの25周年祭が行われました。前にも申し上げましたね。カップヌードルをつくられた安藤百福さんご夫妻は観音さまを深く信仰されて日清食品の全工場に観音さまを祀っているのです。

 この下関工場にも正面入り口の左手に立派な観音堂があり、5年ごとに周年祭をしておられます。当観音寺はその観音さまの仲立ちをしたご縁で毎回その周年祭をさせて頂いておりますが、奇しくも今年カップヌードル発売50年という年に当観音寺が周年祭に携わることができましたのは誠に有難いご縁であります。

     清秋涼風渡蒼天   秋風渡るこの佳き日

     日清観音廿五年   二十五年の観音さまに

     改想起食足世平   祈るは一つ食足世平

     祈只管世界一円   世界が平和でありますように

 上はその二十五年祭の香語です。五年前の二十年祭でもこの食足世平という言葉を申し上げたましたが、今私がさらに痛切に思っているのがこの「食足世平」なのです。この食足世平という言葉は安藤百福さんの言葉ですが、百福さんは「食のあり様が乱れた国は必ず衰退する」と言い、食足世平を信念とされました。「食品は平和産業です」とも言っておられます。

 改めて考えてどうでしょうか。いま世界は平和の危機にあります。アフガニスタンはタリバンによって、ミャンマーは軍によって、香港は中国によって平和が失われています。アフガニスタンではいま多くの子どもが餓死していると言います。北朝鮮の食糧危機は以前から伝えられています。ミャンマーはどうなのでしょうか。


 日本も例外ではありません。日本でも子どもの7人に一人が毎日の食事が満足に摂れない状態にあるのです。日清食品はいま「カップヌードルDO IT NOW」という活動を立ち上げて環境、防災、健康、社会をテーマとした課題に取り組んでいますが、これからも観音さまのお力を頂いて世界平和の実現に寄与して頂きたいと願ってやみません。

(しょく)(そう)()(せい)」。生き物の根本である

「食」の創造をし、もって世の為に尽くす。

         安藤百福


幸せは日常の中に №653

 幸せは日常の中に

令和3年10月17日

 私はいま一枚の絵のとりこになっています。あのミレーの描いた「ついばみ」という絵です。ミレーはパリ郊外のバルビゾンに住み「落穂拾い」や「晩鐘」など農民の生活を描いた画家として知られていますが、この「ついばみ」もその一つでありましょう。農家の庭先で若いお母さんが三人の子どもにおやつをあげている時の絵です。

 ついばみとは文字通り母鳥からエサをねだるヒナの様子を表わす言葉ですね。絵を見れば一目瞭然ですからお見せできないのが残念ですが、まさについばみ、その通りの絵なのです。古びた石造りの農家の上がり框に座った3人の姉弟が小椅子に腰を下ろしたお母さんからスプーンに盛ったおやつをもらっている絵です。

 いまそのおやつを口にしようとしているのは一番下の男の子。その様子を静かに見守っているのは長女。男の子より僅かに上に見える次女は弟が上手に口にできるか心配で弟の左手を握り右手を肩に置いています。その微笑ましいお姉ちゃんぶりには胸を打たれます。自分は最後と静かに順番を待つ長女は手製の人形を抱いています。

 ミレーはこの絵について友人に宛てた手紙で「母鳥のくちばしから餌をもらうひな鳥を連想させたかった」と書いているそうですが、まさにその意図通りの絵でありましょう。足元には鶏が駆け回り、家の向こうには畑仕事をしている父親の姿が見えます。ミレーはその何でもない日常のひとこまの中の幸せを描きたかったのではないでしょうか。

 この絵が描かれたのは1860年頃だそうです。日本で言えばまだ明治にならない安政万延の頃。160年以上も前のことです。しかし、今なおこの絵が私たちを惹きつけて止まないのは変わることのない母子の関係を見事に描いているからでありましょう。たとえ貧しくても母子の幸せな関係は変わらないということを描いているのです。


 この絵の母子もこの絵の時を幸せとは意識していなかっただろうと思います。それほどに日常そのものであったと思います。しかし、考えればこの絵の表わすものは幸せそのものです。何でもない日常の中に幸せがあることを教えてくれていると思います。私たちの人生も何でもない日常の中にあるのではないでしょうか。

「青い鳥」はどこにいる