赤ちゃんって? №669

 赤ちゃんって?

令和4年2月17日

 のっけから恐縮ですが、皆さんは赤ちゃんって何だろうと考えたことおありですか。恥ずかしながら私はありません。これまで赤ちゃんを目にする機会は数限りなくあったはずですが、赤ちゃんって何だろうと考えたことはありませんでした。それだけに改めて赤ちゃんって何ですかと問われると返答に窮します。

 いや何でこんな話かと申しますと、小一の孫娘(()()ちゃん)の国語に「動物の赤ちゃん」という単元があり、先生が身の回りに見られる赤ちゃんにはどんなものがありますかと質問したのだそうです。子どもたちがイヌ、ネコ、かまきり、ミニカー等々と小一らしい展開になったところで、先生が「赤ちゃんて何だろう」と訊ねたというのです。

 その時花菜ちゃんがサッと(だったかどうか、ともかく一番に)手を挙げて「自分の後を継ぐ人」と答えたというのです。それを聴いて私は思わず感嘆。小一の子の域を超えていると思いました(親ばかならぬ爺ばか、です)。 案の定クラスの子どもたちは花菜ちゃんの答えに??? 「継ぐってなあに?」だったそうです。

 で、花菜ちゃんは「自分のしていることをやってくれる人だよ。例えば畑仕事とか」と答えたそうです。正直、私は赤ちゃん(自分の子ども)が自分のしていることを引き継いでくれる存在と思ったことはありませんでした。それだけに赤ちゃんが自分の仕事を継ぐ存在だという意識が小一の子にあることに驚かざるを得ませんでした。

 考えてみれば自分がそうだったのです。私は養護学校教員でしたが父親は小学校教師でした。私は成り行きで教員になりましたが、実は娘も教員になりました。期せずして子と孫が親の仕事を引き継いだことになります。まさに花菜ちゃんが言う「赤ちゃんは自分の後を継ぐ人」を実践していたことに改めて気づかされました。

 花菜ちゃんが「継ぐ」という意識を持ったのは家で話題になることがあったからのようです。花菜ちゃんのお父さんは設計士ですがそのお父さんも設計士なので自然に仕事を継ぐという意味を感じたのかも知れません。カミさんは花菜ちゃんの心の中に「繋がりということが意識されているのかも知れません」と言いました。珍重。


年年歳歳 花相似たり

       唐詩選・劉廷芝


 

「心の時代」考 №668

 「心の時代」考

令和4年2月15日

今年は2022年。21世紀になって20年以上が経ったことを改めて思っています。というのもこの20年余世界は平和への希望を見出せずにいるからです。いやそれどころか北朝鮮は言うに及ばず海洋進出を強める中国、軍事介入してウクライナを併合しようとするロシアなど世界が平和とは反対の方向に向かっているのが現実ではないでしょうか。

 21世紀を迎える頃、「21世紀は心の時代」になると言われました。「戦争の時代」と言われた20世紀が終わって人々が平和な心を取り戻し世界が平和になるとみんなが思いました。しかし現実はそうではありませんでした。2001911日に起きたアメリカ同時多発テロで爆破されたツインタワーの恐怖の映像は目に焼き付いて消えません。

 心の時代と言われた21世紀が何故そんな幕開けになってしまったのか。そして20年余を過ぎた今なお何故テロや差別、紛争がなくならないのか。そのことによって苦しむ人悲しむ人が絶えないことに悲憤を感じてなりません。そして思ったのです。「心の時代」とはこのことか。こんな今だからこそ「心の時代」かと。

 平和が叫ばれる時は実は平和ではありません。同じように心が叫ばれる時は心が貧しいに違いありません。私たちはいま心の豊かさを取り戻す時代に生きているのではないでしょうか。自分だけ自分の国だけよければよいという心を離れて互いに助け合って生きる心を育む時がいまではないのか。まさに「心の時代」ではないのかと思うのです。

 そう考えると、私たちはこの「心の時代」を大切に生きなくてはなりません。この地球には沢山の民族、沢山の国があります。人間ばかりでなく沢山のトリムシケモノサカナがいます。これら地球上の生物が共存共生していかれるように広く豊かな心を持たなければなりません。「心の時代」とはそのことではないでしょうか。

 今日215日は涅槃会、お釈迦さまの亡くなった日です。私たちは上に述べた「心の時代」にあっていま再びお釈迦さまの教えに帰るべきと思います。自らを律し戒を守って周囲と調和しみんな仲良く楽しく過ごすべきではないでしょうか。世界が不安に満ちているいまこそ私たちは共助共存の心を持たなければならないと思います。


こころの貧しい人たちは、さいわいである。

天国は彼らのものである。

        マタイによる福音書

横井庄一さんの教え №667

 横井庄一さんの教え

令和4年2月4日

皆さまご存知、横井庄一さんが昭和472月に28年間潜伏していたグアム島から帰還して今年50年だそうです。横井さんは平成9年に82歳で亡くなっていますが、帰国時の第一声「恥ずかしながら帰って参りました」という言葉は流行語にもなりましたね。あれから50年になるのかと感慨深いものがあります。

 余談ですが、当時私は雑誌記者として厚生省の記者クラブにおりましたので横井さんがジャングル生活で使っていた衣類や漁具などを内覧で見る機会があり、その出来栄えの精巧さに驚嘆した記憶があります。元々器用な方だったのでしょうが機織りした衣服や竹を編んで作った魚かごなど実に見事なものばかりでした。

 それはさておき、このほど横井さんが帰国してそのまま東京第一病院に入院した当時のカルテが見つかったのだそうです。そのカルテには米軍との戦いでは「ほとんど初日に所属部隊が全滅」という証言が記されているそうですが、この一言によっても日米の軍事力の差がどれほどであったか、その戦いが如何に悲惨であったかが想像されましょう。

 部隊壊滅という過酷な環境の中で横井さんはどうして生き残れたのか。カルテには生き残れた理由として「比較的年長者で、素質的に要求水準が低く、素朴な宗教心があった」という3つが医療チームの総括として記されているそうです。私は3つ目の「素朴な宗教心」ということにそれは何であったのかと強い関心を覚えました。

調べているうちにヒントがありました。横井さんは昭和59年に「横井庄一のサバイバル極意書もっと困れ!」という本を出されているそうですが、その中に「心底困り果てた時は神や仏が助けてくれる。本当に困らないと助けてくれない。本当に困り果てた人間には神や仏が知恵を浮かばせてくれるんだと思うよ」とあるのだそうです。


私は横井さんの素朴な宗教心とはこれだと思いました。神仏はいる。その神仏は本当に苦境にある人を必ず救ってくれるという確信こそがジャングルで一人生き残れた理由であったに違いありません。このことはすべての人に通じることと思います。神仏の存在を確信して祈ること。私たちもそれが必要です。


このごろの人は困り方が足りないんだと思う。

だからくだらないことで甘えるんだよ。

           <横井庄一>


リズムに生きる №666

リズムに生きる

令和4年2月3日 

皆さん、バイオリズムはご存知ですよね。生物体内に生じる一定の周期を持った変化を総称して言いますが、このバイオリズムには24時間を一周期とする概日リズムのほか、これより長いもの短いものがあります。いずれにしてもその人にあった生体リズムを生活に適合させることがエネルギー代謝を順調に働かせ健康を維持するうえで大切になります。

 上のバイオリズムは人間だけでなくすべての生物が持っていると言われます。昆虫や動物を使った実験では光が目や視床を通して神経系へ深く関わり、個体を維持するリズムだけでなく生殖のリズムにも影響を与えることが知られていると言います。ということは、私たちは自分が生きているというよりリズムに生かされていると言うべきではないでしょうか。

 そう考えると、リズムは生物だけではないように思います。太陽や地球の日毎月毎の運行。月の満ち欠け。これら天体の運行もまたリズムによっているとしか思えません。人間から見れば永遠のリズムを乱れることなく繰り返してこの宇宙の安定が保たれているのだと思います。宇宙の安定と秩序はリズムによって保たれているに違いありません。

 前置きが長くなりましたが今日の星祭。私はこの星祭は宇宙のリズムに合体することを意図した行事だと思います。私たち人間が平穏無事に過ごすために大切なことは宇宙のリズムに合体することです。宇宙のリズムに逆らうことは自分の生体のリズムに逆らうことです。そこには健康も無事平穏もありません。苦しみと悩みがあるばかりです。

    各々生物有律搖     リズムに生きる人間の

    日々良否律動潮     日々のよしあし司る

    天運天命従星供     星の祭りに願いを託し

    求福除災祈順調     平穏無事を祈ります

 上は今日の星祭の法語です。私たちはこの星祭を通して私たち自身がリズムによって生きている存在であることを改めて思うべきだと思います。自分が生きているのではなく自分が生かされているということに思いを致すべきだと思います。川の流れに身を託すように生体のリズム、人生のリズムに生きることが大切だと思います。

 

ああ 川の流れのように おだやかに 

この身をまかせていたい

   秋元 康「川の流れのように」