祈りの戦争 №620

 祈りの戦争

 令和3年2月17日

  星祭が今年もどうにかできました。お札をお申し込み下さった皆様に厚く御礼申し上げます。ぶっちゃけた話で恐縮ながら星祭のお世話人をして下さっている方の中には「星祭がないと観音寺はやって行かれないのよ」とお勧め下さっている方がお出でですが、星祭が寺の貴重な運営財源になっていることは事実なのです。

 そんな大事な星祭ですからむろんいい加減な気持ちでできるものではありませんが、私にとっては星祭の準備開始から当日、そして2月一杯は祈りの戦争と申し上げて過言ではないと思っています。戦争という言い方には語弊もありますが少しも気を抜くことができないという意味においてはまさに戦争なのです。

 私は以前から星祭の準備の始まる11月半ばから2月一杯までの3ヵ月余りを「星祭100日戦争」と思っています。1117日にお世話人様にお帳面をお渡しして後、2月末までの100日間が星祭を実施するための祈りの戦争だと思っているのです。正直この期間に「のんびり」という気持ちのゆとりはありません。祈りに直面する日々になります。

 その祈りを一番思うのはお札の名前書きでありましょう。例年1月初めからお札書きをしておりますが、お詣りの方で中断されないようお札書きは早朝にしています。お顔を知っている方ならそのお顔を思い浮かべながら、知らない人であれば想像しながら、小さい子であれば名前と歳を思いながら一年の健康をお祈りするのです。

 お祈りと言えばもう一つ。1月下旬、お札が大半書きあがった時に観音さまにお申込み頂いた方全員のお名前を読み上げて観音さまのお加護頂戴を祈っています。この1年、皆さまが観音さまのご加護によって健康に幸せに過ごすことができるようにとお祈りをするのです。私にとっては欠くことの出来ない祈りなのです。


 私は星祭を自分の修行だと思っています。祈りの寺を公言する観音寺であれば私は祈りを自らの修行にしなければなりません。「人生は祈り」と思う私にとって星祭の祈りは有難い修行です。この観音寺で皆さまの健康と幸せを祈る星祭ができることは誠に有難いことであります。珍重万歳。

    
  斃れて後已む

 

 

涅槃会の日に №619

 涅槃会の日に

令和3年2月15日

 今日215日は涅槃会。お釈迦さまが亡くなった日です。お釈迦さまは29歳の時、住んでいたカピラ城を出て修行生活に入られ35歳の時悟りを得られました。以来45年間に渡って人々を教え導かれ80歳で亡くなりました。お釈迦さまはその時、懐かしい故郷カピラ城に帰る途中であったと言います。

 お釈迦さまはクシナガラという町に滞在中にチュンダという鍛冶屋が差し上げた食べ物によって体を壊されて亡くなったと伝えられています。いまはどうなっているか知りませんが、私がこのクシナガラを訪れた何十年か前にはお釈迦さまの荼毘をしたという場所に人が登れるほど高く長い土の山がありました。

 お釈迦さまの死には言い伝えられていることがあります。お釈迦さまは百年の寿命を持っておられたがそのうちの20年を後世の私たちに下さったというのです。この言い伝えの通りならば90歳まで生きた人の20年はお釈迦さまに頂いた20年ということになりますね。皆さんはこの話をどう思われますか。

 私は上の話の本当の意味がまだ分からずにいますが一つ思うことがあります。それはお釈迦さまの教えに従うものは人生の晩年20年は教えの意味しっかり考えて生きなさいということではないかということです。お釈迦さまが死の床にあって最後の力を振り絞って教えて下さった遺教経に次のような一節があります。

 「(なんだ)()比丘、悲悩を懐くことなかれ。若し我世に住すること一劫(いっこう)するとも會うものは亦當に滅すべし。會うて離れざること(つい)に得べからず」と。そして、これと同じ言葉がこのすぐ後に「世はみ皆無常なり。會うものは必ず離るること有り。憂悩(うのう)を懐くこと勿れ」と繰り返されています。

 お釈迦さまは最後まで世の無常をおっしゃりたかったのでしょう。

 この世のすべては無常。人間も例外ではありません。人はみなその無常に従って命を終えます。それを悲しんではいけない。苦しんではいけない。ただ一心にお釈迦さまの教えを実践していけば永遠の教えのなかに生きることができるというのがお釈迦さまの最後の教えでありました。更に参究。


            諸行無常