睡(ねむ)る蛇 №129

平成24年2月17日

 睡(ねむ)る蛇


    来し方の あまたのことの 思ひ出づ 懐かしさより 悲しさが先

    独り居の 僧院に雪 降りしきり ものし思へば 死も近きなり



 夜中にふと目が覚めた時、言いようのない寂しさを感じることはありませんか。上の二首は最近の拙詠ですが、私も長いこと生きて来たという思いと共に思い出される様々のことに懐かしさより悲しさを覚えることが多くなりました。 年ごとに懐かしさは悲しさに重なってくるように思います。それだけ死が近くなったということなのでしょうか。

 恐らくその悲しさはこれまで自分が無自覚に多くの人を傷つけ、また悲しませたことに由来しているのでしょう。父や母に妻に娘にそして多くの友人に迷惑や心配をかけながら生きて来たという悔恨を思うことが多くなりました。迷惑や悲しみを与えたのはひとえに煩悩に寄っています。自分自身の煩悩の結果です。

 お釈迦様はその最後の説法でもこの煩悩について話されました。その遺教の一節に「煩悩の毒蛇睡(ねむ)って汝が心(むね)に在り、譬えば黒蚖(こくがん)の汝が室に在って睡(ねむ)るが如し」とあります。黒蚖とはマムシ、毒蛇のことです。私たちの心には毒蛇の如き煩悩が眠っていると言われるのです。私たちは普段そのことを全く意識していませんが、煩悩は眠る毒蛇だと言われるのです。

 お釈迦様は続けて言われます。「当(まさ)に持戒の鉤(かぎ)を以て早くこれを屛除(びょうじょ)すべし、睡(すい)蛇(じゃ)既に出でなば乃(すなわ)ち安眠(あんめん)すべし」と。私たちの心に眠っている煩悩の毒蛇を戒の力で退散させなさい。そうして初めて安眠しなさい、と言われるのです。安眠とは穏やかなる日常でしょう。四弘誓願文に言う通り煩悩は無尽です。祈り祈り祈ってなお尽きることのないのが煩悩です。しかし、挫けず祈りを続けて安らかな思いを頂きましょう。



  朝日浴び 朱(あけ)に染まりし 笠山の 姿うるはし 春近づきぬ

膨張と収縮 №128

平成24年2月3日

 膨張と収縮


      天行久遠而無窮     天の動きに窮みなく

      無常永遠而無終     時の流れも終りなし

      時膨張亦時収縮     時に膨らみ時に縮むは

      人間地球在其中     我らと地球の定めなり



 何十年も前のことになりますが、私はその頃住んでいた家のトイレの壁紙の模様を今も覚えています。小さな二つの図案でした。一つは点を中心に紡錘形を十字に配したもの、もう一つはその十字の紡錘形が四方に飛んで花のようになったものでした。何故そんなことを覚えているかと言えば、私がその図案に一つの意味を見出したからでした。

 というのは、作者の意図は知らず、私にはその図案が収縮と膨張という自然の法則を意味していると思えたのです。ビッグバンで始まった宇宙は今なお膨張し続けていると言います。宇宙の誕生で生まれた恒星は進化の果てには中心核だけの矮(わい)星(せい)になるものもあります。宇宙に限らず膨張と収縮こそ自然の摂理ではないかと思われたのです。

 この膨張(拡大)、収縮(縮小)という見方をすれば世のこと全ての説明が可能と思えました。花というのは収縮している蕾が破裂(膨張)したものでしょうし、呼吸する肺もそうです。心も明るい時は膨張し沈んだ時には収縮していると解することが出来ます。自然現象も社会事象もある時は膨張、ある時は収縮、という変化を繰り返すのが真実と理解されたのです。

 無常というのはまさにこのことではないでしょうか。それぞれにスパンの違いはあっても私たちは自分を含めて膨らんだり縮んだりする中で生きていると言えましょう。 天長節、地久節でご記憶されている方もおいでと思いますが、「天長地久」でいう「天地は永遠」というのは無常だからこそです。変化し続けるものは永遠なのです。そして、私たちも膨張と収縮を繰り返す永遠の存在なのです。

学生諸君! №127

平成24年2月2日

学生諸君!

 小学生、中学生、高校生そして大学生の学生諸君、皆さんは昨年の東日本大震災に何を思ったでしょうか。あの時のテレビ、新聞、ラジオの報道。思い出すだけで身の毛がよだつような恐ろしい映像やニュースに信じられぬ思いで見入った人も多かったことでしょう。中には親類など身近な方が被災したという人もいるかも知れませんね。


 あの大地震・大津波では二万人もの人が亡くなりました。小さな赤ちゃんもいました。小学生も中学生もいました。大人もお年寄りもいました。そして親を失った子ども、子を失った親たちの悲しみだけが残されました。亡くなった人たちは死にたくて死んだのではありません。死にたくないのに死んだのです。

 皆さんに考えて頂きたいのはそのことです。突然の死を目前にした時、人が死にたくないと思うのは、人は人としてしたいこと、しなければならないことがあるからなのです。人はみんなそれぞれ何かをしたくて、あるいは何かをしなければならなくて生まれてくるのです。ですから、それが終わらないうちは死にたくないと思うのです。

 皆さん、私たちは誰一人偶然に生まれてきたのではありません。それぞれがしたいことがあって自ら望んで生まれて来たのです。私たちはそれぞれ目的を持って自らの意志で生まれて来たのです。生まれてくることが難しい人間に生まれさせて頂いて自分の課題を成し遂げようとしているのが私たち人間なのです。有難いことなのです。

 今年も星祭になりました。 皆さんは星祭のお札をご両親やおじいちゃんおばあちゃんから頂いている人が多いと思いますが、星祭というのは、私たち一人ひとりがそれぞれの人生の目的をしっかり果たしていこうとする祈りなのです。学生とは本来は学生(がくしょう)、仏道を学ぶ僧を言いました。生きている限り私たちは皆祈りの学生(がくしょう)なのです。

どうか皆さん、自分は何をしたくて生まれて来たのか考えて下さい。答えはすぐには出ないと思います。でも是非このことをずっと考え続けて行って下さい。