人生は日常 №287

人生は日常 №287
平成26年 9月25日
 
 先達てと言っても八月末のことですが、NHKラジオで川柳を聴きました。NHKラジオに毎週土曜日「ぼやき川柳アワー」という人気番組がありますが、ちょうどその時、上半期大賞の発表があったのです。聞いていてそれぞれのうまさに感心したり笑ったりでしたが、なかには考えさせられるものもありました。それを紹介いたしましょう。
 
 考えさせられたというのは、言ってみれば人生を詠んだ句ですが、それらを聴いていて、人生はまさに日常にあると感じさせられたのです。例えば「人生はこんなものかとゴミを出す」「生きる価値ここにあったかゴミ出し日」。毎日のゴミ出しは日常の中の日常ですが、そのゴミ出しに人生の意味を見出した二人はユニークです。
 
 人生を振り返る句もありました。「あれかじりこれかじりしてただの人」「いつの日も見上げるだけの人生だ」「人生を流れるプールで考える」「存在感ないので今日も生きられる」。句が言うように、私たちの人生、多くは右往左往、悩み苦しみ泣き笑いです。でも、それでいいんじゃないでしょうか。そこにこそ人生の意味があるのではないでしょうか。
 
 老境を静かに楽しむ句もありました。「のどかやなあ誰来るでなし行くでなし」「新しい朝バアさんとまた迎え」。人誰しも老境に至れば動くことも少なく夫婦二人静かな日を送ることになりますが、そこにしみじみとした人生を感じることが出来るのでしょう。新しい朝を老妻とまた迎えられたという心境には敬意です。
 
 笑えるのもありました。「老人会暗い話で盛り上がり」「私たち追焚き出来ればいいのにね」。年を重ねれば老病死も日常になります。それを笑い飛ばすことが出来るのは年を重ねたからでしょう。追焚きの句、追焚きという発想には笑ってしまいますが、この奥さんはきっと優しい奥さんなのでしょうね。
 
 四威儀という言葉があります。四威儀とは行住坐臥、日常の動作です。食事洗面に始まる日常の動作をきちんと行うのが修行ですが、それはそのまま人生に他なりません。私たちの人生は遠いところや特別な境地にあるのではなく毎日毎日を大切に過ごすことにあります。日常、それこそが人生なのだと思います。

 


       寝て起きて食べて動いてまた眠る。
       泣いて笑って日が過ぎる