人間の品格 №282

人間の品格 №282
平成26年 9月 1日       
 
人間の品格 
                                        
 前号に続いて、投書に学ぶ生き方のヒントその②は、「私も張り手に疑問」という63歳の女性の投書です。この方は横綱が平幕相手に立ち合いで張り手を使ったのを見た方が、張り手は禁止すべきだと投書されたのをご覧になって、「私も最近の横綱の取り口に疑問を感じている一人」と投書をされたのです。
 
 この方の思うところは、横綱であるなら下位の力士に対して張り手を使わず、正々堂々と勝負して欲しいということです。確かに手ではあっても張り手は言わばビンタですから見ていて気持ちのよいものではありません。それを横綱が平幕に使うことに投書の方は違和感以上の残念な思いをされたのに違いありません。
 
 この方が最近の横綱の取り口に疑問を感じるというのは、横綱としての品格、矜持でありましょう。武士の情け、という言葉は、自分より弱い者に対する武士の思いやりを言ったものですが、それが往時の武士道、武士の品格でありました。投書の方は、勝負よりも強い者の弱い者への思いやり、横綱としての矜持があってこそ相撲、と言いたいのだと思います。
 
 そういえば、先日の高校野球甲子園大会で10ゼロの上に盗塁を重ねて大勝した健大高崎高校の闘い方には賞賛と同時に批判もあったと聞きました。米メジャーには大差のついたゲームの終盤ではバントや盗塁を禁じる暗黙の不文律があるといいます。双方を同一線上で語ることは出来ませんが、米メジャーの不文律は武士の情けに通底するものがあると思います。
 
 投書の女性の思いは横綱としての矜持ですが、私はいま私たちにも大切なことが、横綱の矜持と同じように、私たちの矜持、人間としての品格ではないかと思います。ノーブレス・オブリージ(noblesse oblige)という言葉は、高い地位に伴う道徳的精神的義務を言いますが、これは私たちにも当てはまるのではないでしょうか。
 
 私たちが人間として生まれているということは、高い地位にいることと同じです。何故なら私たちは仏子であり、仏そのままだからです。どんな社会的地位、名誉も及ばぬ仏を内在している私たちはその自覚の上に人間としての矜持、品格を保ち、互いに助け合う社会を作らなければなりません。

 
 

  「総じて武道の極意と申すは、 弱気を助け
   その強きを挫き、今目前の利を得ずとも…」   
          歌舞伎・川中島東都錦絵