母を思う №731

 母を思う

令和5年5月17日

 この観音寺も時折水子供養をお願いされることがあります。その折、痛感するのは水子を持たれた方の水子さんへの思いの切なさです。水子さんは女性だけのことではありません。しかし、思いの上では男性に比して女性の方が遥かに大きく強いと思われてなりません。子を宿すということには男性には分からない思いがあるということでしょうか。

 拙衲も最近しきりに母のことを思うようになりました。私たちは誰一人欠けることなく母から生まれます。それ以外の人はありません。すべての人は母によって生まれてきたのです。その思いで、たより№713(母の願い)に「一切の生き物が母から生まれるということは命がつながるということです」と書きました。

 私たちは母によって命のつながりを頂くのです。母のお蔭でこの世に人間として生存させて頂いているのです。命のつながりを
担い、ただひたすら子の幸せを祈る母という存在は何と崇高ではないでしょうか。金子みすゞさんには母を思う詩が幾つもありますが、今回はそのうちの3編をご紹介しましょう。

 <つばめの母さん> ついと出ちゃ くるっとまわって すぐもどる。 つぅいと すこぅし行っちゃ またもどる。 つぅいつぅい、横町(よこちょ)へ行ってまたもどる 出てみても、出てみても、気にかかる、おるすの赤ちゃん 気にかかる。

 <すずめのかあさん> 子どもが 子すずめつかまえた。 その子の かあさん わらってた。すずめのかあさん それみてた お屋根で 鳴かずに それ見てた。

 <さびしいとき> わたしがさびしいときに、よその人は知らないの。わたしがさびしいときに、お友だちはわらうの。わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。


 この3編の詩、どれもが子を思うお母さんの気持ちですね。巣にいる子どもたちが気になって仕方のないつばめ。子どもに捕らえられた子すずめを見ていることしかできない母すずめ。我が子のさびしさに優しくしてあげるしかない母。子を思うお母さんの切なさに胸を打たれてなりません。下の詩もみすゞさんの詩です。


空の、夕焼の、雲の上、天使のすがたもよくみえる。

そんないい眼があったなら、

いつも、母さんのそばにいて、いろんなことをみようもの。


多国籍社会 №730

 多国籍社会

令和5年5月16日

 4月半ば、政府の有識者会議が外国人労働者の技能を育成する「技能実習制度」と外国人労働者を受け入れる「特定技能制度」の二つを廃止し、外国人労働者の確保と育成のための新制度を創設するという案を示しました。現制度には昨年末現在で技能実習制度に32万人が、特定技能制度には13万人が就労していると言われます。

 両制度のうち技能実習制度は国際貢献を掲げていますが、実態は外国人低賃金労働者の確保でしかなく、多くの外国人が劣悪な条件の下で過酷な労働を強いられてきたことは皆さんもご承知でありましょう。実習生からの訴えが絶えないばかりか失踪者が後を断たないという現実がこの制度の欠陥を如実に表わしていると思います。

 少子高齢化が進む一方の日本は労働者不足が大きな問題ですが、その深刻さが増す一方にあって日本はこれから益々外国人労働者に頼らざるを得なくなります。外国人労働者を低賃金労働者として受け入れるのではなく日本の産業を担うパートナーとして迎えなければなりません。もとより差別などがあってはならないのです。

 日本はすでに多国籍国家になりつつありますが、今後さらに外国人労働者が日本に定着すればその多国籍化は急カーブで上昇していくに違いありません。すでに群馬県大泉町では10人に1人が日系ブラジル人と言われていますが、これから多かれ少なかれ多くの市町村で大泉町同様の状態になることは確実だと思います。

 その大泉町が「日本のブラジル」「ほぼ現地」と言われるほどインターナショナルタウンになることができたのは言葉や文化、習慣を越えた秩序ある町づくりを目指したからでありましょう。これからの日本の各都市は外国人受け入れの先駆になった大泉町を手本に多国籍社会を構築していかざるを得ないと思います。


 私は多国籍社会の根本は「共存」だと思います。言語宗教習慣文化が異なる人が同一の場所で暮らすときに必要なのが共存だと思います。互いの違いを理解し容認し争うことなく過ごすのが共存でありましょう。易しいことではありません。しかし、私たち人類は共存しなければならなくなったと思います。


よそから来た子は 

よそ言葉、どんな言葉で はなそかな。

       金子みすゞ 「転校生」

植物の察知力 №729

 植物の察知力

令和5年5月6日

 いま庭のあちこちにタツナミソウが咲いています。一昨年、このタツナミソウを一輪挿しにして楽しんだ後、何の気なしに植木鉢に差して置いたらそれが根付いて驚いた話を申し上げましたね。昨年はそのタツナミソウが4本に増えて花を開いたということを申し上げました。タツナミソウの生きる力に驚嘆でした。

 植木鉢はタツナミソウにとってむしろよい場所であったのかも知れません。渡辺和子さんが言われた「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を文字通りタツナミソウに当てはめた時、植木鉢はタツナミソウにとって環境的に露地よりよかったのかも知れません。今年は10本にもなって花を咲かせています。

 上のタツナミソウで私は改めて植物の生きる力生きようとする力に驚かされましたが、植物は自分ではその場所を選ぶことができないだけに生き延びるために私たちが知らない能力を持っているのかも知れません。実は先達て「ん、どうして?」と思うようなことがあったのです。植物は察知力を持っているのかも知れないのです。

 シャガが咲いた4月のことです。例によってこのシャガを一輪挿ししてしばらくそれを楽しんだ後、もう終わりかなと思ってアヤメに替えることにしたのです。その時はまだシャガが1,2輪残っていましたのでアヤメは別の花瓶に挿して並べて置きました。そうしたら何と言うことでしょう。終わりと思ったシャガがまた咲き出したではありませんか。

 もう終わりと思ったシャガが再び花を咲かせる。それはむろんツボミが残っていたからでしょうが、見た目にお終いと思われたシャガがそれまでに益して花を咲かせたことには驚きしかありませんでした。ひょっとしてシャガは私が心に思ったことを察知して次々に残りのツボミを開かせたのではないかと思えたのです。


 そして4,5日、何とアヤメが先に終わりました。思いました。植物は人間が思っていることを察知する力を持っているに違いないと。そうでなければ今回のようなことは起きないのではないかと。植物の察知能力、「植物学の父」と言われる牧野富太郎さんはどう思っておられたでしょうか。


「私は草木に愛を持つことによって、

 人間愛を養うことができる、

 と確信して疑わぬのである」

          牧野富太郎


「沈黙の負債」 №728

 「沈黙の負債」

令和5年5月5日

 ロシアがウクライナに武力侵攻して一年二ヵ月。非力の私たちはくロシアの暴挙に怒りと悲しみを覚えるばかりで日が経っています。ロシアは武力侵攻の理由を「ナチからの解放」と言いましたが、これが全くの口実であることは誰が見ても明らかでありましょう。しかし、そのロシアと全く同じことを日本は過去にしたことがあるのです。

 十五年戦争と言われるものがそれです。1931S6)年の満州事変から日中戦争を経て太平洋戦争で敗戦に至る1945S20)年までの足かけ15年間、日本は白人帝国主義からアジアを開放して大東亜共栄圏を建設すると称して中国や東南アジア諸民族への侵略戦争を行いました。それはいまロシアがウクライナにしていると同様の侵略戦争だったのです。

 その戦争中、僧侶は何を考え何をしたのか。神奈川県に住む畏友Kさんが秦野市の会報「緑のはだの」に寄せられた論考「沈黙の負債」を送って下さいました。そこでは出征した僧侶たちの軍事郵便や仏教僧たちの動きから戦時下の僧侶が何を思いどんな行動をとったのかが考察されていますが、まさにそれはいまの私たちへの問題提起なのです。

 Kさんは出征僧侶も意識的には一般兵士と変わらず戒律意識や反戦思想は見られていないと指摘する一方、内地の各仏教教団は生き残り戦略で物心両面からの全面的な戦争支援をするようになったと言います。Kさんはそこに特高や憲兵隊に象徴される抗いようのない時代の圧力、黙さざるを得ない苦衷と身の危険があったはずと言われます。

 しかし、そんな状況にあっても戦争批判、反戦を訴えた二人のことをKさんは書かれています。一人は軍備縮小・全廃を主張した新興仏教青年同盟の首班を務めた妹尾義郎という人、もう一人はあの植木等さんの父、植木徹誠さんです。植木徹誠さんは一貫して反戦を貫き、出征する青年たちに「卑怯者と言われても死ぬな」と言ったそうです。


 私はいま改めて「沈黙の負債」という言葉の重さを思います。ロシアでロシア国民がウクライナ侵攻反対の声を上げられないのはロシアが恐怖政治化しているからです。しかし、声を上げない限り戦争は止まず、それはロシア国民の負債になってしまうことでありましょう。それはいまの私たち日本国民の問題でもあります。

よくも悪くも「時代は傾き」。

その傾きをつくるのは紛れもなく国民である