白雲悠々清流滔々 №755

  白雲悠々清流滔々

令和5年11月17日

霜月にもみじ惑わす夏日かな   京都・小林茂雄

        義理のよに短い秋がやって来た  壱岐・中永郁子

  上の句は4日の朝日川柳。下の句は6日の中畑流万能川柳(毎日)。4日の朝日かたえくぼには「四季の歌 三番は省略しますー歌手」ってのもありました。

 立冬になってからはいつもの初冬になりましたが、今月初めは全国的に季節外れの夏日でしたね。東京では11月で過去最多となる3度の夏日を記録したと言います。上の中永さんの句やかたえくぼの通り、近年は四季のうちの春秋があっという間に過ぎてしまう気がします。これも気象異変かも知れません。

 古今和歌集や新古今和歌集を見ても夏冬の歌に比べて春秋の歌が圧倒的に多いのは日本人がいかに春秋に季節を感じて来たかでありましょう。季節から春秋がなくなってしまうのは人の心から繊細な感受性を奪ってしまうことになるに違いありませんが、それこそが無常ではないでしょうか。

    白雲悠々漂碧空    青い空に白い雲

    清流滔々逝秋風    秋風に逝く水は

    古今東西無別事    いまもむかしも変わりなく

     諸行無常万物空    すべてのものは移りゆく

 日本の季節から春秋がなくなってしまうのは残念でありますが、移りゆくということはそういうことだと思います。季節がどんなに変化しても移りゆくことには変わりありません。それが諸行無常ということだと思います。人間の思いとは関係なく変化し続けるのが無常ということだと思います。


 度々申し上げることですが無常は真理です。自然の摂理です。人間の勝手な思いとは一切関係ありません。非情無情です。だからこそ真理なのです。お釈迦さまはその真理に気づかれたのです。真理をつくったのではなく真理に気づかれたのです。私たち人間もその真理のうちに生まれて老いて病んで死にます。合掌。


祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり


イスラエル・ハマス戦闘を憂える №754

 イスラエル・ハマス戦闘を憂える

令和5年11月16日

ウクライナとロシアの戦争が停戦になっていないのに今度はイスラエルとハマスが戦争になりました。この1か月余り、イスラエルの攻撃は容赦なくガザ地区を襲い、これまでにガザでは1万人以上もの死者が出ています。空爆は病院や学校、難民キャンプまでに及び沢山の子どもたちが犠牲になっていることに胸の痛みを覚えてなりません。

 そうしたイスラエルに対して世界各地で攻撃停止を叫ぶ声が高まっていますが、米欧の多くの国はイスラエルの自衛権を支持して戦闘が収まる気配はありません。憎しみの応酬でしかないこの戦闘をどうしたら終わらせることができるのか。そう考えていて二つのことを思いました。

 その一つはイスラム原理主義です。ご存知のようにハマスは国ではありません。イスラム原理主義の組織です。ハマスも当初は難民や貧困層のための社会活動団体として発足したようですが1987年以降は武装闘争に転換してしまい、以来、シャリーア(イスラム法)に基づくイスラム社会への復帰を目指す過激な組織になってしまったのです。

 私は原理主義そのものを悪いとは思いません。しかし、それが宗教の中で組織化されると過激先鋭化、武力闘争化してしまう弊害を生じると思います。その端的な例がハマスでありタリバンではないでしょうか。ハマスはまずこのことを思うべきです。攻撃と報復は憎悪と対立の連鎖しか生まないのです。そこに平和はありません。

 思ったこと、もう一つは「共存」です。この4年以上、私たちはコロナウイルスに翻弄されてきました。私たちがこのコロナウイルスに学んだことは共存でした。絶滅させることができないウイルスとは共存するしかないというのがコロナの教訓だったと思います。このことは異民族同士でも全く同じだと思うのです。


 実はイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)には1993年に互いに共存する劇的な合意(オスロ合意)がありました。この和平プロセスを2002年に崩壊させたのはイスラエルですから今回の戦闘の責任はイスラエルにあるとも言えます。共存がどんなに大切かイスラエルも考えるべきでありましょう。


「彼、われをうちまかし

 彼、われをうばえり」かくのごとく

 こころ執せざる人々こそ 

 ついにうらみの(やす)(らい)を見ん

          (法句経)


四住期考 №753

 四住期考

令和5年11月11日

先日、中学時代の友人が来てくれた折、年齢のことから「四住期」の話になりました。互いに八十路になった今、これからどう生きていくかが切実な問題であることは言うまでもありません。八十路と言えば人生最終章であることは無論です。残された時間を如何に過ごすかなのです。

 四住期については以前ちょっとだけ申し上げたことがあると思います。古代インド法典では3上流階級であるバラモン、クシャトリア、バイシャはその生涯を学生(がくしょう)期、家長期、林住期、遊行期(遍歴期)の四つに分け、それぞれの時期になすべきことを決めておりました。

 学生期はベーダ聖典を読誦し祭式の施行法を学ぶなど宗教教育を受ける時期で512歳でこの時期に入り12年間修行することが決められていました。次の家長期では結婚し男児を設けることが義務づけられていました。そして3番目の林住期においては息子に家を託して森林に隠遁する、となっています。

 問題は最後の遊行期です。この遊行期では諸国を遍歴し、托鉢のみによって生活するとなっていますが、年齢的には幾つぐらいからがこの遊行期になっていたのでしょうか。学生期は1212とすれば24歳までになります。家長期はそれ以後家庭を持ち、仕事を息子に任せるまでですから6070歳でしょうか。

 とすると林住期はそれ以後の1015年間となり遊行期の始まりは70歳前後になるでしょうか。この時期になったら托鉢で命を支えながら諸国遍歴をすべきだというのがこの四住期なのです。してみると私はすでにこの遊行期になっていますが、遊行期どころか林住期さえ出来ていないことに愕然とせざるを得ません。


 ただ、インドでも四住期は理想的なあり方であり現実には必ずしも守られてはいなかったようです。それを知って私はいま自分はどうするかという思いに駆られています。僅かでも実行に移せることがあるか。気持ちだけでも林住期遊行期に近づけることができるか。遊行期を実践し続けた山頭火はすごいと思います。


分け入っても分け入っても青い山

           種田山頭火


最新葬儀お墓事情 №752

 最新葬儀お墓事情

令和5年11月8日

コロナが5類化して半年になりました。しかし終息した訳ではありません。いつまた猛威を振るうかという恐れはそのままでありましょう。それでも今年は催し事が4年ぶりに再開されたという話をよく聞きました。無事再開無事終了ならばそんな嬉しいことはありません。誰しもそう願っていると思います。

 しかし、コロナによって中断せざるを得なかった催事の中には消滅を余儀なくされたものもあったでしょうし、消滅まで行かなくとも規模や内容を縮小せざるを得なくなったものもあるに違いありません。そのことを考えるとコロナによる生活への打撃がいかに大きかったかと思わざるを得ません。

 コロナによる変化で大きかったものの一つとして葬儀があると思います。コロナ猛威の最中には遺体を目にすることも叶わず、葬儀も形だけにせざるを得ませんでした。会葬者を家族だけにする、いわゆる「家族葬」です。 しかし、そのやむを得ずであった家族葬がいまはむしろ積極的に選ばれるようになったのです。

コロナ以前から見れば大変な違いになりましたが、私はこの家族葬を否定はしません。儀式が先行しがちの大きな葬儀より家族が心を込めて亡き人を送ることができればそれに越したことはありません。恐らく家族葬はこれから葬儀として定着していくだろうと思いますが、それは決して悪いことではないと思うのです。

もう一つ。これはコロナとは直接関係はしませんが、近年はお墓に対する意識の変化があると思います。つい最近までは「○○家の墓」という形が多かったと思いますが、お墓の維持が難しくなるに連れて墓じまいする人が多くなり、結果として納骨堂、海洋散骨、樹木葬等が多くなっています。これも時代でありましょう。


このように考えると、私たちの死を取り巻く状況は変化の過渡期にあると思えてなりません。しかし、大事なことは葬儀無用ではありません。むしろ今まで以上に亡き人を懇ろに弔い、死者とのつながりを深めていくことではないでしょうか。そのために葬儀のあり方、お墓の形をしっかり考える必要があると思います。


皆さまに質問です。

「お墓って何ですか?」