命を頂く №39

平成22年3月17日 

命を頂く


 皆さまにとって春最初の味覚は何でしょうか。人それぞれ春の味覚があると思いますが、私は何と言っても「ふきのとう」です。五味の中でも苦味(くみ)(にがみ)は一種独特ですが、ふきのとうはその苦味を味わうのですね。

私はふきのとうを頂く時、いつも「命を頂いている」という思いがします。それはまずふきのとうを摘む時です。ふきのとうは蕗の花の芽です。それを摘んでしまうのですから申し訳ないと思います。そしてもう一つは湯掻くときです。ふきのとうを湯に入れると一瞬に鮮やかな緑になります。ふきのとうが生きているからこそでしょう。
 
私たちが生きるということは食べることです。食べるということは他の命を頂くということです。動物であれ植物であれ、私たちの食べものはみな生きている命です。他の命を頂いて私たちは生きているのです。食事の時、私たちは「頂きます」と言います。まさにそれは他の命を頂く感謝の言葉です。「食べ物さん、ありがとう」なのですね。

うーん、そうか!

 ご覧になった方もおいでと思います。先達て(31日)のテレビ『深ィィ話』で「死についてのスペシャル」をしていましたね。その時のゲストに生涯二万体もの死体を見てきたという元監察医、上野正彦さんがおいででした。上野さんは監察医という仕事の中でずっと「死はナッシング」と思い続けてきたと言います。ところが、なんとその上野さんが自分の愛犬が死んだ時「あの世に行ったら私のジイバアに会いなさい。いい人だから」と言ったというのです。監察医という眼で見る限り「死はナッシング」でしかあり得なかったのでしょう。しかし、仕事を離れた一人間として死に接した時、上野さんは自然に魂の存在を思ったのでしょうね。この話、皆さんはどうお思いですか。



石激(いはばし)垂水(たるみ)の上のさ(わらび)
   萌え出づる春になりにけるかも
           ()(きの)皇子(みこ)~

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