紅葉幻想 №65

平成22年12月10日

紅葉幻想

 それはそれは幻想的な景色でありました。紅葉に囲まれた崖際の細い道に後から後から真っ赤な紅葉が降り散っているのです。少しの風もないのに朝日を受けた幾百幾千とも知れぬ紅葉がはらはらはらはらと散り続けているのです。散る落ち葉で行く手が見えなくなるほど散っているのです。あたりは物音ひとつ聴こえません。

 その静寂に一人立って私は茫然となりました。一瞬自分がどこにいるのか分からなくなりました。その景色がこの世のものとは思えなかったのです。いえ、確かにそこはこの世ではありませんでした。あの世?。あの世でなければあの世の入り口?。降り注ぐ紅葉が作ったあの異空間はまさに幻想そのものでした。

 学生時代、私はその時の体験と同じようなイメージを思ったことがありました。それは人麻呂の歌を考えていた時のことです。万葉集巻第二に人麻呂の次の歌があります。
                                                
     秋山の 黄葉(もみじ)を茂み (まと)ひぬる
     (いも)を求めむ 山道(やまぢ)知らずも

 この歌は妻を亡くした人麻呂がその悲しみを詠んだ長歌に続く反歌二首のうちの一首です。思いもかけぬ妻の死の知らせに妻が生前よく訪れていた軽の市に来たものの為すすべもなく妻の名を呼んで袖を振り続けた人麻呂はなおも妻を探し求めようとするのです。それが上に記した短歌なのです。
 
 古来、我が国には死者は山に行くという考えがありました。人麻呂もその他界観に従って妻を求めて山に入ったのでしょう。時は秋。愛する妻を探し求める人麻呂が山道で目にしたのは行く手をさえぎる程に舞い散る落ち葉の景色でした。降り注ぐ幻想の落ち葉。人麻呂はその景色に妻の面影を見たに違いありません。






    衾(ふすま)ぢを(ひき)()の山に妹を置きて
        山道(やまぢ)を行けば生けりともなし 
              ~人麻呂~

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