幸せは日常の中に №653

 幸せは日常の中に

令和3年10月17日

 私はいま一枚の絵のとりこになっています。あのミレーの描いた「ついばみ」という絵です。ミレーはパリ郊外のバルビゾンに住み「落穂拾い」や「晩鐘」など農民の生活を描いた画家として知られていますが、この「ついばみ」もその一つでありましょう。農家の庭先で若いお母さんが三人の子どもにおやつをあげている時の絵です。

 ついばみとは文字通り母鳥からエサをねだるヒナの様子を表わす言葉ですね。絵を見れば一目瞭然ですからお見せできないのが残念ですが、まさについばみ、その通りの絵なのです。古びた石造りの農家の上がり框に座った3人の姉弟が小椅子に腰を下ろしたお母さんからスプーンに盛ったおやつをもらっている絵です。

 いまそのおやつを口にしようとしているのは一番下の男の子。その様子を静かに見守っているのは長女。男の子より僅かに上に見える次女は弟が上手に口にできるか心配で弟の左手を握り右手を肩に置いています。その微笑ましいお姉ちゃんぶりには胸を打たれます。自分は最後と静かに順番を待つ長女は手製の人形を抱いています。

 ミレーはこの絵について友人に宛てた手紙で「母鳥のくちばしから餌をもらうひな鳥を連想させたかった」と書いているそうですが、まさにその意図通りの絵でありましょう。足元には鶏が駆け回り、家の向こうには畑仕事をしている父親の姿が見えます。ミレーはその何でもない日常のひとこまの中の幸せを描きたかったのではないでしょうか。

 この絵が描かれたのは1860年頃だそうです。日本で言えばまだ明治にならない安政万延の頃。160年以上も前のことです。しかし、今なおこの絵が私たちを惹きつけて止まないのは変わることのない母子の関係を見事に描いているからでありましょう。たとえ貧しくても母子の幸せな関係は変わらないということを描いているのです。


 この絵の母子もこの絵の時を幸せとは意識していなかっただろうと思います。それほどに日常そのものであったと思います。しかし、考えればこの絵の表わすものは幸せそのものです。何でもない日常の中に幸せがあることを教えてくれていると思います。私たちの人生も何でもない日常の中にあるのではないでしょうか。

「青い鳥」はどこにいる


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