ツバメの野送り №23

平成21年9月17日

ツバメの野送り


 十日余り前のことです。私は実に感動的な場面に遭遇しました。今でもこんなことがあるだろうかという気持ちがしてなりません。

 その時、私は常関寺さんからの帰り道、寺に向かって車を走らせていました。緩い下り坂に差し掛かってしばらく行くと目の先に小鳥が数羽道に降りているのが見えました。私が速度を緩めると同時に鳥たちは一斉に飛び立ちました。ツバメでした。しかし、一羽だけ横になったまま動かないトリがいます。車はその上を通りすぎました。

 その瞬間、私はすべてを了察しました。恐らく事故にあって死んでしまったツバメを悼んで仲間のツバメたちがその周りを取り囲んでいたに違いありません。しかし、鳥が仲間の死を悼むということがあるでしょうか。人は言うに違いありません。いや、そんなことは絶対ない。ツバメが仲間の死を悼んで寄り添うなんてことはあるはずがない。集まっていたのは別な理由があってのことだろう、と。

 確かにそうかも知れません。仲間の死を悼むという行動は人間以外では霊長類やゾウにあると聴いたことがありますが、トリにもみられるとは聴いたことがありません。ですから、私の思いは勝手な解釈と言われれば反論のしようもありません。でも、それでも私はあのツバメたちは仲間の死を悲しんでいたのだと思えてなりません。

 以前、死は新しい生の第一歩だと申し上げました。そう考えれば死を「無に帰する」現象とは違ったとらえ方をすることが出来ます。しかし、いま私たちが共有している平成二十一年という時は再び帰ってくることはありません。それと同様、今私たちがお会いしている方々と再び何処かで会えるかどうかも分かりません。その意味では死はやはり別離、そして悲しみです。私にはツバメがその悲しみの野辺送りをしていたのだと思えてなりません。


黄泉の旅におもむく心のうちを思いやれば行くも悲しみ、留まるも悲しむ。~日蓮聖人~


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