祈り・鎮魂 №54

平成22年8月10日

祈り・鎮魂

     熱砂熱風灼熱難   熱砂熱風灼熱の難
     草木朦朧耐渇乾   草木は朦朧として渇乾に耐う
     八月盆会原爆忌   八月盆会原爆忌
     焚迎火祈念平安   迎え火を焚いて平安を祈念す
 
      灼熱の日を/草木は/じっと/耐え忍ぶ/ 

 今年はまた特別の酷暑。皆さま毎日うんざりでしょうが、その暑さに葉をうなだらせて耐えている草や木を見るとまず敬服の思いがします。じっと我慢の草木を思うと、この時ばかりは青空と太陽が恨めしく思われますね。

そういえば昭和20年8月6日、広島に原爆が落とされた日も晴れた暑い日だったといいます。あれから65年たちましたが、私たち人類は未だに世界平和を成し得ていません。大切なことは私たち一人ひとりが戦争の苦しみと平和への祈りを忘れないことです。厳しい現実のなか炎熱に耐える草木に励まされる思いでした。

13日からはお盆です。この風習はイラン民族の死者祭祀が収穫祭と結合し、中国そして日本に伝えられたようで「盂蘭盆(うらぼん)」という言葉もイラン語のウルヴァン(霊魂)に発しているということです。私はこのお盆が冬ではなく夏の暑いこの時期にあることに相応しさを感じます。夏の宵にはそこここに亡き人の魂が浮遊しているように思えませんか。
 
 私たちは一人ひとりが両親、祖父母、曾祖父母と遡る先祖を持っています。その数は僅か6代だけで126名になり、その先は幾何級数的にその数を増していきますが、思うべきはもしそのうちの一人でもいなかったら自分は存在しないということです。その有難さ不思議さに感謝してご先祖を祀るのがお盆でありましょう。私たちは永遠の命の流れの中にいます。川の流れが途絶えることのないように命の流れも途絶えることはありません。私たちもやがては祖先の一員。盆の供養は自分の供養です。



     独り出て道眺めゐる盆の父
              ~伊藤通明~

0 件のコメント:

コメントを投稿