人を送る №53

平成22年8月9日

人を送る

 葬儀にはほとんど縁のない観音寺ですが先月末、相次いでお二人の葬儀をすることになりました。お二人とも観音様の敬虔な信者であり、ご家族や近親の方も寺による葬儀を望まれていましたからそのご希望に添うことができてまずは有難いことでした。そして同時に私にとっては葬儀の意義を考え直すよい機会でもありました。

 皆さんは「直葬」という言葉を聞かれたことがありますか。葬儀をせず葬場からお墓に直行してしまうのです。東京では三割がこの直葬になっているといいます。この背景には現代日本の社会的要因が潜んでいるのでしょうが、いずれにせよ「直葬」では人が魂(霊魂)を持つ存在であることが切り捨てられてしまいます。物体の処理にしかなりません。

 私は葬儀は第一に故人のためになされるものだと思います。輪廻転生を信じる私からすれば生から死への移行は魂の修行の一過程です。死は肉体を離れて魂の修行に移る大切な瞬間なのです。葬儀は亡骸(なきがら)の処理ではありません。旅立つ魂の準備なのです。

そして第二には葬儀は遺族のためになされるものです。同じ時を共に過ごした近親の死、今生の別れが悲しくない筈がありません。「幽明(さかい)(こと)にする」と言いますが、肉身として再び会うことのできない悲しみを思い切り味わうのが葬儀です。思い切り悲しんでこそ悲しみを越えることが出来るのです。
 
 つい先日、NHKのクローズアップ現代『 生前から考える“人生の最期』という番組で宗教学者の山折哲雄さんが、それまでは「葬送」と言っていたものが、ある時期から「告別式」という言い方に変わったと言われていましたが、それは魂を送るという意識より別れという意識の方が強くなったということでしょう。しかし、葬儀で第一義的に大切なのは故人の魂送りではないでしょうか。私たちにとって今、死をどのように考えるか、死とどう向き合うかが大きな問題と言えます。
 


   よく自分に問うてください
   一度ぎりの人生を
   どのように生きていくかを
            ~坂村真民~

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