孤客の聞いたもの
記録的だった今年の猛暑もお彼岸以後は一気に涼しくなりました。本当に今年ほど秋の到来が待ち遠しかったことはありません。ようやくの秋風に皆さまもほっとされていることと思います。その秋風で思い出す詩がありました。唐詩選の中にある劉禹錫の「秋風引」という詩です。
何処秋風至(何処よりか秋風至る)
蕭々送雁群(蕭々として雁群を送る)
朝来入庭樹(朝来庭樹に入り)
孤客最先聞(孤客最も先ず聞く)
この詩を自分なりにこんなふうに訳してみました。
どこから来たのか朝の風
淋しく一人雁を見送り
宿の庭樹に佇めば
ゆく秋風に知る無常
私は最初「孤客最も先ず聞く」を文字のまま「旅の己が先ず聞く秋風」としましたが、それでは訳しきれていないと気づきました。文字では確かに孤客が聞いたものは秋風ですが、その時作者が感じたものは秋風よりも人生の淋しさではなかったでしょうか。秋風に人生の無常を感じたのではないかと思ったのです。
人生、帰るあてのない旅ほど淋しいものはありません。この時の作者がそうであったかどうかは知りませんが恐らくそのような例えようのない寂寥を覚えたに違いありません。見送る雁の群れに蕭々(ものさびしい)という言葉を選んだのは、孤客(孤独の旅人)自身の淋しさを表現したと言って過言ではありません。この世は無常です。一切のものは移り変わり変化して止みません。何一つ誰一人として無常を免れる存在はありません。作者は秋風に人生の無常と寂寥を感じたのでありましょう。
世の中の生死の道に連れはなし
たださびしくも 独死独来
~小林一茶~
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