続・心象風景 №98

平成23年7月1日

続・心象風景


 先達て五月、香川県のお遍路に行った時のことです。三日目の15日昼、喝破道場で美味しい手打ちうどんをご馳走になっていよいよ最後の札所国分寺に向かう時でした。順打ちであればここは遍路ころがしと呼ばれる険しい登りの山道なのですが、今回は白峰寺からの逆コースになったためその坂道を下ることになったのでした。

 どちらかと言えば、下りが得意な私は錫杖を頼りに小走りにその坂道を下り始めました。と、しばらく行くうち、前方に小学生とおぼしき二人とその二人を引率している四十代ほどの男性が見えました。私は回峰行者よろしく声をかけてその三人を追い越しました。思いのほか足がよく動くといううぬぼれでもありました。

 ところが、しばらく行くと後ろから駆け足で私を追ってくる気配がします。思わず後ろを振り返ると先ほど追い越してきた少年の一人でした。私は足を止めて少年を待ち受け、それから二人で歩き始めました。少年は野球チームに属していてその日はコーチに連れられて来たのだと言います。 少年と私は歩きながら互いの話をしましたが、ほどなく少年は「じゃっ」と後ろの二人のところに戻って行きました。

 いま、私はこの時のことを新見南吉の「うた時計」のようであったなと思います。年老いた薬屋の放蕩息子、周作が少年廉君とうた時計の話をしながら野道を歩く話です。私が遍路道で会った少年と話を交わしたのはものの十分ほどでしたが、その「うた時計」のように、私はこの時のことをずっと忘れないのではないかという気がします。少年と話をしたことは現実のことですから心象風景ではありませんが、何かそれに近いイメージを覚えるのです。
 

 これから何年か後も私はこの日のことをエピソード記憶として懐かしさを持って記憶しているに違いありません。その時、あの少年も同じようにエピソード記憶として覚えてくれているのでしょうか。それとも少年の場合は現実的な記憶ではなくなって心象風景のようにおぼろげな記憶になっているのでしょうか。
 

      つゆぐさのつゆにも 
      めぐりあいの不思議を思い
          足をとどめて みつめてゆこう
            ~坂村真民~

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