続・“終活”を考える №114

平成23年10月17日

続・“終活”を考える


 このたより№111で先達てNHKで放映された「今終活が熱い」を紹介しましたが、その後すぐ週刊文春106日号で「40歳から考える“理想の死に方”1000人アンケート」という記事を見ました。これもなかなか面白い内容でしたのでその一部をご紹介しましょう。

 まず、死に対して「不安がない」のは全体の四分の一だったそうです。この中には津波で死にそうな体験をして強くなったという人もいますが、他は「今までの人生に満足している」とか「大好きだった両親に会えると思う」という類が多いようです。しかし、不安なしが四分の一ということは四分の三は何らかの不安があるということなのでしょうね。

 理想の最期は、という設問には「南海の無人島」「釧路湿原でキタキツネ、丹頂鶴に見守られて」「アフリカでライオンに食われて」等メルヘンチックな回答がありましたが、この回答は4050代のようですから死がまだ切実ではないのでしょう。現実的な回答には「自宅でぽっくり」「庭いじりしながら」「ホスピスでみんなに囲まれて」「出かけようと身支度して突然」等やはりコロリ、ポックリを望む人が多かったようです。
 
 自分の死に何か準備をしているかという回答には、「戒名」「遺言書」「葬儀の時の音楽」「訃報リスト」「写真」「身辺整理」等のほか「優しく争いのない生活」というのもありました。優しい生活、というのはいいですね。また戒名を持っているという方は受戒されたのでしょう。戒名というのは“受戒の名前”ですから本来は生前に頂いておくことが望ましいのです。私は戒名こそ持っていますが他は何にも出来ていません。皆さんご立派。敬服です。
 

 死とは何か。前にも申し上げたと思いますが、我が国では死を身近に経験することが少なくなって死をどう理解するかが難しくなりました。この記事の中で医師の大岩孝司さんが「死は何十年と経験を積み重ねてきたその人の人生や生活の集大成。それまでの知識や経験の延長線上で自分がやり残したこと、最後までやりたいことは何か。それを見つけた人が“悔いのない死”を迎えることが出来る」と言われていますが、それに尽きるように思います。


      いつ死んでも ありがとうや
              ~大西良慶(清水寺元管長)~

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