思う秋の日 №113

平成23年10月15日

思う秋の日

 十月もはや半ば。今年も残り四半分を切りましたね。上の「思う秋の日」は昭和52年の岩崎宏美さんの歌「思秋期」の中の言葉です。阿久 悠さん作詞のこの歌の三番に「無邪気な春の語らいや/はなやぐ夏のいたずらや/笑いころげたあれこれ/思う秋の日」とあります。この歌「思秋期」は乙女の切ない恋の思い出を綴った歌でしたが、今年はそれとは違った意味で「思う秋の日」になりました。きっと皆さまも同じ思いではないでしょうか。

 思えば今年ほど「災」の一字に翻弄された年はなかったと思います。三月の東日本大震災では信じられぬ高さの津波によって福島、宮城、岩手三県の沿岸の市町村が壊滅的な被害を蒙り、二万人を超える人が亡くなりました。親を失った子、子を失った母など今なお悲しみの中にいる人たちのことを思うと、その切なさに胸が痛みます。
 
 この天災に輪をかけたのが原発事故という人災でした。神話とまで言われた安全装置がもろくも壊れて放射能汚染という大変な事態を招いてしまいました。最悪の状況は回避されましたが、いまなお危険な状態が続いていることに変わりはありません。避難を余儀なくされ住み慣れた故郷と仕事を奪われた人々の憤りややるせなさに同情を禁じ得ません。

 つい先達ては三重、和歌山両県が台風の被害を受けました。この台風でも多くの人が亡くなり崖崩れで家屋や道路が失われました。山崩れであちこちにせき止湖が出来たことも驚きという他ありませんでした。地震も津波も台風も自然の脅威です。私たちはその自然の脅威を忘れていたのではないでしょうか。自然に対する畏敬の念を失っていたのではないでしょうか。

 暑かった夏が嘘のように朝晩は肌寒ささえ覚えるようになりました。モクセイの香りのなかで、風に揺れるコスモスの花のなかで、今年亡くなった多くの人たち、とりわけ無念の思いを残して世を去った人たちに思いを馳せる時、私は瞑目して手を合わせるしかありません。
 
 もくせいの 香り静かな 僧院の 風渡る庭 ひとり(たたず)
 なにゆへに 悲しき思ひ (つの)るらむ  薄日の秋の 静かなる朝



    おもたい かなしみが さえわたるとき
    さやかにも かなしみは ちから
              ~八木重吉~
 

0 件のコメント:

コメントを投稿