「共存」は「棲み合い」 №616

 「共存」は「棲み合い」 

令和3年1月17日

(あら)たしき年の初めの初春の今日降る雪のいや()吉事(よごと)  大伴家持

 何年か前の年頭にも上の歌を紹介したことがありましたね。この歌は家持さんが因幡の国に赴任していた天平宝字三年(759年)、正月の宴で詠んだ歌です。万葉集20巻最後の歌になったこの歌には降る雪によいことを重ね願った家持さんの心情がしのばれます。

      禍福混交迎新年   未だコロナの新年迎え

      祈只管共存完全   只々祈るすべての共存

      疫病消除娑婆訶   コロナ収まり万歳の

      願一心希望一年   希望の一年来るように

 上は今日初観音の法語です。ご紹介した家持さんの歌と同じように世界の人々が共存してくらすことができますように、そしてコロナが収束してくれますようにという思いで作りました。今年はこの願いが叶うことを祈るばかり。皆さんも人間の生存に不都合なこと、生存を脅かすことが起きませんようにと願っておいでと思います。

 しかし、です。前号でも皆さんに「人類共存」を申し上げましたが、人類だけが、あるいは一民族一生物種だけが一方的に利益を得るというのでは共存にはなりませんね。私が敢えて「共存」と申し上げたのはそのことを思ったからです。共存するためには互いの違いを知ってそれを尊重することがなければなりません。

 昨年のちょうど今頃、このたよりで「棲み合いの論理」ということを申し上げました。チョウの中には棲み分けではなく棲み合いをする種がいるという話でした。この発見をされた中井 衛さんによれば、棲み合いによって互いの種の識別能を保持することにこそ生物多様性の原理が秘められていることでした。

 人間とコロナとの共存、人類同士の共存ということを考えていて私は改めて中井さんが発見されたチョウの棲み合いのことを思い出しました。共存とは棲み合いに他なりません。互いにその違いをはっきり認識しかつその違いを保持し続けることです。私たち人類の平和は互いの違いを知る、認めることに始まるのでしょう。

 


「棲み合い」こそ生物本来の姿

           中井 衛

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