沈丁花  №13

平成21年3月17日


沈丁花

    日が少し延びて気配も柔らかな春の匂いの日暮れが好きです
                 (越谷市 五十嵐充郎)

先日の「毎日歌壇」に載っていた歌です。段々と日が延びてきたことを日暮れに感じているよい歌ですね。 季節の移ろいに鋭敏でなければ感じることのない瞬間といえるのかも知れません。でも、この「春の匂いの日暮れ」という言葉にはどこか郷愁を誘うものがないでしょうか。私はこの言葉を聞いて思い出すことがありました。

私が十歳ほどの頃ですから、もう何十年も前のことです。季節はちょうど今頃。三月初めではなかったでしょうか。ようやく春の訪れが感じられるようになったある日の夕刻、もう木々の色合いも薄れるほど夕闇が迫っている頃です。ふと庭の植え込みをめぐる道に佇んでいた母が「沈丁花が咲いたねぇ」と言ったのです。教えられるままに私はほのかな闇の中に咲く花を見ました。私は沈丁花の花とその香りをその時初めて知ったのでした。

言ってみればただそれだけのことですが、日常の何げない風景、香り、言葉。私たちはその何げない一瞬を忘れられないことがあります。おそらくこの歌の作者も「春の匂い」に遠い昔の記憶を蘇らせたのではないでしょうか。花の香りであれ土の匂いであれ、忘れられない記憶というのはきっとその人の人生と深く関わっているのだと思われてなりません。

季節とともに移ろい行く香り、音、手触り足触り。私たちの生活はそんな五感から益々遠ざかってはいないでしょうか。情報が氾濫し日々生きていくだけで精一杯という今という時代にあってはそれが当り前なのかもしれません。でも、それは決して私たちが豊かになったことでもなく幸せになったことでもありませんね。

 寺もいま沈丁花が咲いています。静かに香りを放っています。

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