彼岸はどこにある №12



平成21年3月20日

彼岸はどこにある

子規の句、毎年よ彼岸の入りに寒いのは、というのは子規のお母さんの口癖そのままだそうですが、今年ももうお彼岸ですね。お彼岸に仏事を営むのは我が国独自のことのようですが、考えたら彼岸ってどこにあるのでしょうね。やっぱり西方十万億土なのでしょうか。

子供の頃、こんなお話を聞いたことがあります。
昔々貧しい村があって人々はつらく苦しい暮らしをしていた。そんなある時、村一番のおじいさんが「わしは豊かで暮らしやすいところを知っている。そこへ行くには大きな船と行くまでの沢山の食糧が必要じゃが皆が行く気があればわしが案内しよう」と言うのです。

村人はそのおじいさんの話に大喜びし、早速その日からおじいさんの言う豊かな国に行く準備を始めました。田畑を耕して米や野菜を作り森に入って木を育てました。大人も子供も村人みんなが一生懸命汗を流して望みを叶えようとしたのです。そして五年たち七年たち村の米蔵は十分な穀物で満たされました。森の木もすくすくと大きく育っています。村人たちは喜び勇んでおじいさんの家に行って言いました。「おじいさん、食糧は出来ました。船を作りますから理想の国に案内して下さい。」

すると、おじいさんはこう言ったのでした。「皆の衆、豊かな国とはここじゃよ。この村じゃよ。ごらん。村のどの田畑にも作物が豊かに実り山には立派な木々が生い茂っている。村の蔵には米や野菜が溢れるほどに蓄えられている。村人みんなが仲良く楽しく暮らしているこの美しい村こそみんなが望んだ理想の国なんじゃよ」

 悟りとか彼岸と聞くと私たちはそれが自分とは遠く離れたところにあるように思いがちですが、実はこのお話の通りなのでないでしょうか。私そしてあなたがいま暮らしているところ。そしてしていること。彼岸はその中にあるに違いありません。

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