素直の大事 №15

平成21年4月17日


素直の大事

 私たちが日ごろ慣れ親しんでいる観音経(観世音菩薩普門品)はご存知の通り法華経(妙法蓮華経)にあるお経ですが、同じ法華経のなかに観音経と同じ位親しまれている「寿量品」と呼ばれるお経があります。そのお経の偈文に「質直意柔軟」という言葉があります。文字通り「性質が素直で心が穏やか」という意味です。いつでしたか美輪明宏さんがこの言葉を使っていて吃驚させられましたが、仏さまに対してはこの素直ということ、質直意柔軟が大事なんですね。

 でも、これが難しい。私たちはなかなか心素直になれないんですね。この素直ということの大事さについては同じ偈文にもう一度後の方に「柔和質直者、則皆見我身」という言葉が出てきます。穏やかで素直な人は皆すなわち仏様がここにあって衆のために説法するのを見る、というのです。

 では、何故心素直な人はみな仏様を観ることができるのか。それは囚われがないからなんです。囚われることがないからそのまま仏様を観じることができるのです。翻ってみると私たちはいつも我見、我慢、我痴、我愛に囚われています。わずかな知識と経験を我が見解として固執し、井の中の蛙とも知らずにその我見に慢心しうぬぼれています。我痴、我愛もおなじことです。俺が俺が、で過ごしている限りだめなんです。

 我を捨てる、という言葉があります。修行の根本はこの我を捨てるということなんですね。修行道場に行きますと、修行者はまず最初に徹底的に我をへし折られます。例えその人がそれまでどんな社会的な名声を得ていようが一切関係なく「はい」「いいえ」「ありがとうございます」の三語しか使うことを許されません。その生活を体験して初めて素直ということの大切さを学ぶのだと思います。

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