“同行二人”とは №62

平成22年11月10日

“同行二人”とは

 102527日、高林寺様主催の歩き遍路(高知編)に行ってきました。今回は高知市内の第29番国分寺から第35番清滝寺までの7か寺です。初日は台風14号の影響で多少の雨になりましたが、二日目、三日目は清風快晴、あちこちで一面のコスモスの大歓迎を受けました。前々号に笑うコスモスのことを書きましたが今回は奇しくもその再現となり、涼風にそよいで一斉に笑うコスモスに思わずこちらも笑顔の楽しいお遍路でした。
 
 ところで、今回のお遍路で特筆すべきはいつもの小月元気組に加えて神奈川から私の友人二人が参加してくれたこと、それともう一つ、曹洞宗青年会の三人が加わってくれたことでしょう。旅衣の若い僧侶が列の前後を守ってお遍路の雰囲気を盛り上げてくれたのです。Sさんが「今回はお坊さんに守られて誇らしい気持で歩けました」と言ってくれましたが、それは私自身も同じでした。青年僧が威神力を発揮してくれたのは有難いことでした。

 で、とようやく本題。お遍路の「同行(どうぎょう)二人(ににん)」の話です。同行二人とは自分と弘法大師様が一緒に遍路するという意味ですね。お大師様がお遍路の人を守って下さるのです。以前一人で回った時私はこのことを実感しました。お大師様が助けて下さったのだとしか思えないことを何度も経験したのです。それは不思議としか言いようがない体験でした。
 
 四国の人はお遍路の人を大切にしてくれます。それはひとえにお遍路する人がお大師様と一緒だからでしょう。お遍路がお大師様をお連れするのです。それは取りも直さずお大師様の(じゅん)(しゃく)でありその地域にお大師様の力を注ぐということなのです。だからこそ四国の人はお遍路を大事にしてくれるのでしょう。突き詰めて言えば、同行二人とは同化ということです。「お大師様と歩く」ではなく「お大師様を歩く」ということです。それは観音参りも同じではないでしょうか。観音様へのお参りは、観音様にお参りするのではなく我が内なる観音様をお参りすることと思います。

 
    「私にとって小鳥はもう小鳥ではない。
    小鳥は私だ。私が小鳥を生きるのだ」  
        ~有島武郎「惜しみなく愛は奪ふ」~


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