星祭の意義再び №70

平成23年2月3日

星祭の意義再び

     紅梅輝夕陽愈紅    夕陽に輝く紅梅の
     清風含春芳瓏々    香りを運ぶ春の風
     悠々大河流不息    大河に浮かぶ(あくた)のように
     有情非情在天工    天のお陰で生きてる私

 今年も星祭の日がきました。観音寺の法要のうちでも星祭は個人に関わるご祈念ですので思い特別の方も多いと思います。それだけに「星祭のお札を頂くと一年安心して暮らせる」とおっしゃって下さる方が多いのですが、それを私は大変有難いことと思います。そうおっしゃって下さるのは寺として嬉しいばかりかそう言われる方がさらに有難いと思うのです。

 以前も申し上げたと思いますが、私は星祭の真の意義は「生きてあることに感謝し大いなる存在に祈る」ことだと思います。上の法語の通り、私たちは大河に浮かぶ塵芥(ちりあくた)のようなものです。塵芥はいくらもがいても結局川の流れに身を任すほかありません。そう気付いた時私たちは自分が生きているのではなく天の力に生かされていると悟るのではないでしょうか。

 一年を安心に過ごすというのは私たちの願いです。そして願いが成就された時、願いは感謝の祈りになります。それが有難いのです。祈りの究極は宇宙の法則と一体化することです。その時には恐らく何があっても感謝になるのではないでしょうか。星祭というのは私たちの感謝の祈りのトレーニングなのでしょう。

 そう考えていてお願いを思い出しました。皆さま、星祭に限らずお札は出来るだけ目にし易い場所に置いて下さい。お札をしょっちゅう目にすることが無意識のうちにそのお札の祈願を満足させることになるのです。お札を目にすることが祈りのトレーニングになり、そのことが自分自身を祈りの存在に変えていくのです。
 

      正しく強く生きるとは
       銀河系を自らの中に意識して
       これに応じて行くことである 
           ~宮沢賢治「農民芸術概論綱」~


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