質直を以て本と為すべし №72

平成23年2月17日

質直を以て本と為すべし

 二月は涅槃月です。この15日が涅槃会でした。この観音寺も一日から涅槃会の十五日まで朝のお勤めの時みんなで遺教経(仏垂般(ぶっしはつ)涅槃略説教誡経)を読みました。通して読めば30分以上かかるお経ですから一回に読むのは前半と後半の半分ずつです。しかし、半分ずつでも毎日読んでいるとみんなこのお経の素晴らしさが感じられると言うのです。

 確かにそうなのです。お経は本来どのお経も読むたびに新しい気づきを覚えるのでしょうが、この遺教経は散文ということもあってか取り分け新しい発見があり、気づきまた反省させられることが多いのです。今回は今年私が心を惹かれた一節をご紹介しましょう。

 遺教経前半の一番最後にこのような言葉があります。

 「(なん)(だち)比丘(びく)諂曲(てんごく)(しん)(どう)と相違す。()の故に(よろ)しくまさに其の心を(しつ)(じき)にすべし。(まさ)に知るべし、諂曲は(ただ)欺誑(ごおう)()すことを、(中略)是の故に汝等宜しくまさに(たん)(しん)にして質直を以て(ほん)()すべし。」

 諂曲とは自分の意思を曲げてこびへつらうことです。お釈迦様はここで「こびへつらいは仏の道ではない。道を学ぶものはその心を素直に真っ直ぐに保たなければならない。よくよく知りなさい。へつらいの心こそあざむきなのです。心をきちんと素直に真っ直ぐすることを中心に生きなさい」と言われたのです。

 このお釈迦様の言葉に私は脳天に鉄槌を下されたように気になります。へつらいという卑しい心。私の心にはいつもへつらいが住んでいるのではないか。こう言ったら人がよく思ってくれるのではないか。こうしたら人によく思われるのではないか。そういうへつらいの心で私は生きていないか。内心忸怩たる思いに駆られざるを得ません。たとえ損しても苦境に立つことになってもへつらうことなく心素直に真っ直ぐに生きる。私もそこを目指したいと思います。


    布施というは不貪(ふとん)なり、
     不貪というはむさぼらざるなり。
         むさぼらずというはよのなかにいふへつらわざるなり。
                                             ~道元~


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