続・五木の子守唄 №71

平成23年2月16日

続・五木の子守唄


 このたより№66で五木の子守唄のことを書きましたらそれを読んで下さった方からお手紙を頂きました。その方もこの子守唄の切なさはついこの間の日本と思うし、その方の少女時代でさえ近所でお医者さんを呼ぶのはみな死の間際であったと言うのです。言われて私も同じことを思い出しました。私の子供時代は疫痢で死ぬ子供が多かったのですが、医者にもかかれずに死んでいく子供を見送る親はどんなにつらかっただろうと思います。

 ところで、お手紙を下さった方は、この五木の子守唄の「かんじんかんじん」のかんじん、「盆ぎり盆ぎり」の盆ぎりの意味がよく分からないということでした。実はこれは書こうとして字数のために書けなかったことであり、同じように疑問の方もお出でと思いますので改めて触れたいと思います。

 まず、かんじんですが、これは「勧進」。歌舞伎「勧進帳」の通り、寺社等の造営のために寄付を募って諸国を歩くことを言います。後に転じて物乞い、乞食の意味になりましたが、この歌では「よかしゅ」、つまり地主階級に対する小作人の意味に使われています。この言葉が使われるほど両者の格差は大きかったということでしょう。

 次の「盆ぎり」は文字通りお盆まで、と解釈されています。子守奉公はお盆まで、ということになります。とすれば、年季奉公が明けるのですから気持ちは嬉しい筈です。ところが、それに続く歌詞は悲しく切ない言葉ばかりです。矛盾しているとしか思えません。

 この「盆ぎり」をある人は、これは亡くなってしまった子の言葉であり、この歌詞は本来この子守唄の一番最後に位置するのだといいます。つまり死んでしまった子供が「自分達はお盆の時しか家にいられない。早くお盆が来てほしい。そうしたら早く故郷に帰れる」と言っているのだというのです。その解釈には説得力があります。でもそうすると、この歌が一層切なく思われてなりません。
 

         旅に病んで夢は
      枯れ野をかけ廻る
           ~芭蕉~

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