平成24年2月17日
睡(ねむ)る蛇
来し方の あまたのことの 思ひ出づ 懐かしさより 悲しさが先
独り居の 僧院に雪 降りしきり ものし思へば 死も近きなり
夜中にふと目が覚めた時、言いようのない寂しさを感じることはありませんか。上の二首は最近の拙詠ですが、私も長いこと生きて来たという思いと共に思い出される様々のことに懐かしさより悲しさを覚えることが多くなりました。 年ごとに懐かしさは悲しさに重なってくるように思います。それだけ死が近くなったということなのでしょうか。
恐らくその悲しさはこれまで自分が無自覚に多くの人を傷つけ、また悲しませたことに由来しているのでしょう。父や母に妻に娘にそして多くの友人に迷惑や心配をかけながら生きて来たという悔恨を思うことが多くなりました。迷惑や悲しみを与えたのはひとえに煩悩に寄っています。自分自身の煩悩の結果です。
お釈迦様はその最後の説法でもこの煩悩について話されました。その遺教の一節に「煩悩の毒蛇睡(ねむ)って汝が心(むね)に在り、譬えば黒蚖(こくがん)の汝が室に在って睡(ねむ)るが如し」とあります。黒蚖とはマムシ、毒蛇のことです。私たちの心には毒蛇の如き煩悩が眠っていると言われるのです。私たちは普段そのことを全く意識していませんが、煩悩は眠る毒蛇だと言われるのです。
お釈迦様は続けて言われます。「当(まさ)に持戒の鉤(かぎ)を以て早くこれを屛除(びょうじょ)すべし、睡(すい)蛇(じゃ)既に出でなば乃(すなわ)ち安眠(あんめん)すべし」と。私たちの心に眠っている煩悩の毒蛇を戒の力で退散させなさい。そうして初めて安眠しなさい、と言われるのです。安眠とは穏やかなる日常でしょう。四弘誓願文に言う通り煩悩は無尽です。祈り祈り祈ってなお尽きることのないのが煩悩です。しかし、挫けず祈りを続けて安らかな思いを頂きましょう。
朝日浴び 朱(あけ)に染まりし 笠山の 姿うるはし 春近づきぬ
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