ただ独り歩め №136

平成24年4月8日

ただ独り歩め


     苦楽相生之娑婆      苦楽半ばの娑婆世界

     人生人間是什麼      人間とは、と問はれたら

     笑而答唯我独存      唯我独り、と答えませう

     孤生独逝生命河      一人生まれて一人逝く



 花祭りの頃になるといつも思い出します。誕生されたばかりのお釈迦さまが七歩歩いて右手を上げ「天上天下唯我独尊」と言われたということを。勿論お釈迦さまが自分だけが尊いと言われるはずはなく、いやそれより生まれて直ぐに七歩歩いて言葉を言うなんてあり得ず、これは後の付会伝説とは思いますが、それにしてもと気になるのです。

 そして思いついたのが上の法語。唯我独尊を唯我独存ともじってみたのです。しかし、思って下さい。 私たちは一人では暮らせません。世話になったり世話したり迷惑かけたりかけられたり。みんな誰か何かのお蔭で生きています。「誰の世話にもなりたかねぇ」と粋がってみても食う寝る生きるどれ一つお蔭に寄らないものはないのです。

 若い頃、旅をしていてつくづく思ったことがありました。旅というのは帰るところがあるから旅なのです。帰るところがありそこには家族や友人がいるから旅なのです。帰るところのない旅は旅ではありません。それは悲しい流浪、孤独の放浪です。日常という旅でもそれは変わりありません。私たちはお蔭を受け絆によって支えられているから生きていられるのです。

 しかし、お釈迦様は「独り歩め」とおっしゃいました。「世の中の遊戯や娯楽や快楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め」(スッタニパータ)と言われるのです。生まれること死ぬことがそうであるように人間には他の人が代われないもの、その人がするしかないものがあります。どのように生きるか、がまさにそれではないでしょうか。お釈迦様はそれを言われたのでしょう。

六道輪廻の間には ともなふ人もなかりけり 独り生まれて独り死す  ~一遍上人

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