偏見 №167

平成24年11月16 

偏  見 

スーパーの 開店待ってる 爺がいて タオルに唾かけ 車磨けり  

  

 先日の朝、用事があって出かけた帰りに買い物を思い出してスーパーに行ったのです。開店まで少し時間ありましたが、出直すよりは待った方が、と駐車場に行くとすでに数台の車が止まっているのが見えました。同じような人がいるものだと思いながら見ると、その中にベージュ色のピカピカの高級車があったのです。

 
 何気なくその車を見ていると、反対側にいたらしい男性が現れてドアを確かめるように見た後、車内から緑色のタオルを取り出し、それに唾を吹き掛けてドアを磨き始めました。一か所ではありません。確かめるように見ては唾をつけて磨くのでした。私はその様子に何か不思議な感じを覚えてなりませんでした。
 
 そのような感じを覚えた理由の一つは、その男性にありました。男性はどうみても八十歳過ぎのその辺のお爺さんなのです。失礼ながら高級車を乗り回すというイメージではありません。その人の車が若者が欲しがりそうな高級車。そして、その人が車のわずかな汚れをタオルに唾をつけながら磨くということに意外感を覚えたのです。

 恐らくその意外感は、車のわずかな汚れを気にするのは車フェチの若者、唾をつけてものを磨くのは年寄り、という私の思い込みによるものでしょう。車フェチの若者がするようなことを老境に入った人が今や化石となった方法でしていることに対して感じたのです。しかし、次にそれは偏見ではないかと思いました。

 素直に見れば、御齢八十の方が高級車に乗り、その人が車を汚れひとつ見えないよう大事にしても何の不思議はなく、不思議と思うのはやはり見る者の思い込み、偏見でしょう。ありのままという言葉がありますが、ありのまま見たり考えたりすることが如何に出来ていないかと思わざるを得ませんでした。ありのまま、を言いかえれば素直。素直の大切さを改めて思ったことでした。

梅は匂いよ 桜は花よ 人は心よ 振りいらぬ
               ~「山家鳥虫歌」~




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