「息」を考える №166


平成241110

「息」を考える

  
生きるとは 息をすること 祈ること 有難き日々 南無観世音
 
 先達てふと、生きることと息をすることは同義語だと思い至りました。それで出来たのが上の歌。先日の法要案内ハガキに記した歌です。改めて申し上げるのもおこがましいほど息は命とつながっています。息が絶える、息を引き取る、と言えば死ぬことですし、息を吹き返す、と言えば生き返ることです。生きているというのは息をしていることなのですね。
 
 生死だけではありません。息は心にも行為にも関係しています。嬉しい時は息が弾みますし、気持ちが高まれば息張ったり息巻いたりします。苦しい時は息が詰まったり息切れしたりします。そんな時は息継ぎや息抜きが必要ですね。ここ一番、という時には息を入れたり、呑んだり、凝らしたり、ひそめたり、殺したり、とまた大変です。
 
 ちなみに「息」を広辞苑で引くと「口や鼻から呼吸する空気。呼気または吸気、特に呼気をさす」とあります。これでお分かりのように、息は呼気と吸気の総称ですが、このうち呼気がより大切なのです。何故でしょうか。これについて有田秀穂さん(東邦大学医学部教授)が興味深いことを言われています。
 
 有田さんによると、呼吸には二つの様式、生きるための呼吸と心と脳を整える呼吸法があると言います。 生きるための呼吸は横隔膜収縮による吸気が主体であるのに対し、心と脳を整える呼吸法(丹田呼吸法)は腹筋収縮による呼気が主体だと言います。その違いは、横隔膜収縮による吸気か、腹筋収縮による呼気か、になります。
 
 そして、大事なことは丹田呼吸法が、心身を整えるセロトニン神経を活性化するということですが、実はこの丹田呼吸法こそ坐禅の時の呼吸法なのです。坐禅の時は呼気に意識し吸気は自然に任せますが、それが心と脳を整える呼吸法だと言われるのです。有田さんはさらに読経、声明(しょうみょう)、太極拳にも同じ効果があるとし、脳科学的には、読経や声明は「声を出す丹田呼吸法」だと言われています。みなさん、声を出してお経を読みませうね。

なかなかに 絶ゆとし言はば かくばかり 息の緒にして 我れ恋ひめやも 
                    ~万葉集・大伴家持~

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