心清らかに №168

平成24年11月17日

心清らかに

   
    晩秋山田一条煙     秋の夕ぐれ山の田に
    漂揺冷涼夕陰天     煙ひとすじ漂ひて
    喫茶喫飯日常底     平凡たるこの毎日が
    光陰即行雲流川     再び帰らぬ時と知る

     人恋し 秋の夕ぐれ 山の田に 白くひとすじ 煙立つ見ゆ
 
  先日夕刻、山里とも見える秋の田に煙が立ち上っているのが見えました。刈入れの後の稲わらでも燃やしているのでしょうか。一筋の白い煙がゆっくりと漂って夕ぐれの空に消えていきます。そのさまは子どもの頃の懐かしさというより心に迫るしみじみとした情景でありました。人恋しい秋だからこそでありましょう。
 
 人生を季節に譬えるならば、若さ溢れる時は春、老いに向かう時は秋、ということになります。山の田の煙が立ち上っては消えていくように、そして季節がめぐっていくように、私たちが過ごしている時間は一瞬のよどみもなく過ぎ去っていきます。青春時代には無尽蔵のように思われた時間も齢とともにその限りを覚えざるを得ません。
 
 春が青春と言われるのに対し秋は白秋と呼ばれます。秋の澄み渡った空気が透明な白を連想させるのでしょう。白というのは人生の後半を過ごす者にとてもよいイメージではないかと思います。若さゆえに無分別なこともしでかす時と異なり、老いに向かう時は自らの来し方を振り返り己を慎んでいかねばなりません。それが白い時と思うのです。
 
 その白い時、出来ることなら欲少なく心清くして過ごしたいと思います。七仏(しちぶつ)通戒偈(つうかいげ)に「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意」とあるように、悪はなさずよいことに努め心を清らかにしていけたらと願わざるを得ません。しかし、これが言うは易く行うは難しの難事。悪事をなさぬことも善事に努めることも心を清らかにすることも容易ではありません。恐らくは一生の課題。それが修行というものなのでしょう。



秋ふけし 山のゆふべに わが()きし
ひくき(ほのほ)も こほしきものぞ斎藤茂吉~
 

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