平成25年1月17日
祭り語源考
先日、ふと祭りの語源は何だろうかと疑問が生じました。祭りと言えば、普通は山車や神輿を繰り出す夏祭りや秋祭りを思い浮かべますね。神事の儀式は一般的に祭りと呼ばれます。これに対して、仏事の儀式は法会あるいは法要といいますが、実はこれも祭りに他なりません。祭りとは神仏や霊的存在への祈りだからです。
しかし、「祭り」の語源は定かではありません。「字統」、「字通」などを著した漢字の碩学、白川 静さんは、祭りは「神の来臨を“待つ”」ことに由来しているとし、傍証として祭りを「まち」とも言うし、祭りの酒を「待酒」というと言われます。確かに「庚申まち」とか「二十三夜まち」という言葉があります。しかし、語源としてはいまひとつ憾みを拭いきれません。
そこで大胆にも自説になります。私は祭りの語源は「ま・吊り」ではないか、と思うのです。「ま」は「真」を意味する接頭語「真東、真澄、真木、真心」などの「ま」です。そして吊りは布や紙を吊り下げることです。古来、わが国では布や紙などヒラヒラしたものに魔よけの呪力があると信じられていました。それを吊るすことが神事であったと思うのです。
「吊」は「弔」の俗字で「口+巾(ぬの)」が布を垂らす意味を表しています。古代、神に祈る時の捧げものに「幣」という麻や木綿を細く切ったものがありました。後にこれが紙になったものが、今の「四手」です。奈良・平安時代の女性が首からかけた「領巾」という薄い白布がありますが、これも単なる飾りではなく呪力を発揮するためのものであったのです。
正月に山の神を祭る行事に「幣掛け」がありますが、これは幣を垂らすという祈りの原初の形を今に伝えているのでありましょう。祈りの発端はアニミズムにあります。脅威の自然や不可思議な力に対する畏怖の念が自ずと消災招福の祈りになっていったに違いありません。幣、領巾、四手はその祈りを成就させるための依代であったのです。
チベットやネパールにもタルチョという幣と同じような祈祷旗がありますが、いずれにしても祭りの原型は私たち人間の素朴な願い、目に見えない存在に対する畏怖、畏敬が祈りという形で表されたものでしょう。観音様への祈りも同じです。観音様に対する素直な畏敬こそ祈りの本質と思われてなりません。
このたびは 幣もとりあへず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに
~古今和歌集・菅原道真~
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