日常の意義 №175


平成25 1 1

日常の意義


      平々平穏過旧年     なんともなしに年過ぎて
      凡々無事迎新年     なんともなしの年が来た
      風雨万端無別事     雨の降る日は雨が降る
      飲食午睡足祈念     食うて眠りて有難や

    なにごとも なくて過ぎる日 明ける年 なにごとなしの 有難きかな

 新しい年になりました。皆さまいかが新年をお迎えでしょうか。昨年は有難いことに大きな災害はありませんでした。無事に過ごせるということがどんなに貴重なことかと思われた方も多いと思います。私たちはふだん無事でいることをほとんど自覚しませんが、一昨年のような大災害にあうとその有難さを痛感しないわけにはいきません。

 新年、改めて日常ということを考えました。日常というのは何でもない日です。何でもないというのは同じことの繰り返しということです。朝お日様が東に上り夕方西に沈むように毎日毎日同じことの繰り返しをするのが日常です。日常茶飯といえばありふれた平凡な物事のたとえですが、もちろんこれは毎日の食事から生まれた言葉。それが日常なのです。

 しかし考えますと、この日常ほど貴いことはありません。日常の繰り返しほど貴いものはありません。私たちが生きていられるのは毎日食事をするからです。 食事によってエネルギーを頂き、その力で繰り返し呼吸をし休みなく心臓が動いてくれるからです。起きていても眠っていても休むことなく繰り返してくれるからなのです。

 実はこの不断の繰り返しこそ人生ではないでしょうか。 毎朝同じお経を繰り返し読んでいますと、いつしかお経をそらんじることが出来るようになります。習い事やスポーツも同じでしょう。不断の練習を積み重ねることによって出来なかったことが出来るようになったり、さらに上手に出来るようになったりするのです。それが人生だと思います。

 不断の日常を繰り返す。どうぞ皆さまもその有難さ、貴さを思ってまた今年一年を大切にお過ごしくださいますよう。
 


        精出せば凍る間のなき水車

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