非日常の意義 №176

平成25年1月7日

非日常の意義


 一月七日は七草粥の日ですが、この日はまた人の日、(じん)(じつ)とも呼ばれる節会(せちえ)(宴会)でもあります。今もされているのかどうか、宮中では「白馬(あおうま)の節会」と呼ばれました。それを習ったのかどうかは知りませんが、永平寺ではこの日、県人会と称する修行僧の宴会が行われます。出身県ごとのブロックになって古参、新到の別ない大宴会をするのです。

 この日一番のイベントは腕相撲大会です。何しろ男だけの世界。各寮舎から屈強の力自慢が集まっての勝ち抜き戦ですから盛り上がらない訳がありません。 私がいた年の決勝戦は両者譲らず競い合っているうちに何と土俵台の机が壊れてしまうという大熱戦でした。選手はむろん応援する方も必死ですが、これには大拍手が起きたことは言うまでもありません。

 最初から余談のような話になってしまいましたが、前号で日常の大切さを考えながら、同時にそこには非日常の大切さがあると思ったのです。永平寺の県人会は年二回、一月と八月に行われます。ハレの日という言葉がありますが、修行僧にとってはこの年二回の県人会が世俗的なハレの日であるように、往時の日本人にとっては盆や正月がハレの日であったのです。

 ハレに対して普段の日はケと言われました。ハレの日は主に祝い事の日です。そしてケの日は毎日の仕事にいそしむ日々です。古来、人々の暮らしはこのハレとケによって支えられてきたのではないでしょうか。私たち日本人はこの対象的な二つの日、ハレとケ、即ち非日常と日常をうまく組み合わせて暮らしてきたに違いありません。

 ハレ、非日常の意味は回顧回帰、振り返って初心に帰ることです。それが生活のアクセントになります。日常というのは繰り返しですから、ともすればルーズになったりマンネリ化したりになりかねません。それを防ぐのが非日常でしょう。生活の基本である日常をしっかりさせていくためには時に非日常という日常を振り返る時がなければなりません。
 

 現代の生活にはハレとケという意識が希薄になりました。昔に比べたら着るものも食べるものもハレの毎日。しかし、私たちは生活の豊かさを感じてはいません。生活の豊かさを取り戻すために私たちは何をすべきなのでしょうか。
 

   暮らすということは時間をつなぐことであり、
   酔ってうやむやに終わる一日からは
   暮らしの実感は生まれてこない。
              杉浦日向子~
 

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