「いっぽんどっこの唄」 №295

「いっぽんどっこの唄」 №295
平成26年11月15日

「いっぽんどっこの唄」
 
 今日1115日は山口県が生んだ偉大な作詞家、星野哲郎さんのご命日です。星野さんは昭和元年に現在の周防大島町に生まれ、平成22年にお亡くなりになりましたが、星野さんが作詞した数多くのヒット曲を口ずさまれた方も多いと思います。実は私もその一人。標題の「いっぽんどっこの唄」には分けて思い出深いものがあります。
 
 ミリオンセラー、水前寺清子さんの「いっぽんどっこの唄」は、昭和41年に発表されていますが、その翌年、私はこの歌を新入社員歓迎会で歌ったのでした。しかし私は、当時はむろん、この歌が何故「いっぽんどっこ」なのか知ることがないまま今日に至り、先日のたより「公園の手品師」を考えながら、改めて「いっぽんどっこ」って何だろうと思ったのです。
 
 調べて分かりました。「いっぽんどっこ」は「一本独鈷」。独鈷(とっこ)は密教で使う煩悩を破砕するための法具ですが、この独鈷模様を一筋織り出した博多織を「いっぽんどっこ」と言うのだそうです。でも、星野さんが何故、歌の名を「いっぽんどっこ」としたのかは謎です。「いっぽんどっこ」に星野さんはどんなイメージを持たれていたのでしょうか。
 
 このことについて何人かが推定していますが、その中では法具の意味に重なる「雑念を払って真っすぐ行く」、転じての「一匹狼」というのが当たっているでしょうか。歌の発表の前年、昭和40年には中教審が「期待される人間像」を答申して、その時代錯誤的な内容に批判が起きましたが、当時は若者の生き方が問われる時代でもあったのです。 
 
 そう考えると、(男なら)「人のやれないことをやれ」とか「行くぜこの道どこまでも」という歌詞には、思いこんだ道を突っ走るという一匹狼的な意気込みが強く感じられます。それは恐らく当時の若者に対する応援歌であり、同時にその言葉通りに過ごしてきた星野さん自身の思いでもあったのでしょう。
 
 この歌が作られてほぼ半世紀、いま日本の若者はこの「いっぽんどっこ」の気概を持ってくれているでしょうか。いや、半世紀前にこの歌を聴いた私たち自身がこの歌の心を持ち続けているでしょうか。自問して忸怩たる思いを禁じ得ません。日本の活力とそして平和を守るために今再び「いっぽんどっこ」です。

 

          春が来りゃ 夢の木に 花が咲く 
          男なら 行くぜこの道 どこまでも










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