追悼、野坂昭如さま №354


追悼、野坂昭如さま
平成27年12月17日 
 9日、野坂昭如さんが心不全でお亡くなりになりました。ご逝去を聞いてがっくり肩の力が抜ける思い。野坂さんの文章に挿絵を描かれていた黒田征太郎さんが「オレの兄貴。もうちょっと教えてほしかったです」とおっしゃっていることに私も同感。野坂さんの思いをまだ聞かせて頂きたかったと残念でなりません。

 二十代の頃、私は野坂さんの作品をよく読みました。野坂さんの文章には独特の雰囲気がありますね。11日の毎日新聞の評伝では野坂さんの作品を「独特な音楽的リズムを持った濃厚な文章」と評していますが、野坂さんはご自分の文章を「饒舌(じょうぜつ)(たい)」と言っておられました。確かに野坂さんの文章には独特のリズムがあって、それが読む者を魅了したのです。

でも、切れ目が少ない文章は書くことが容易ではありません。野坂さんの饒舌体は原稿用紙が文字で埋めつくされるのですから、作品代が原稿用紙の枚数で決まるのは割に合わないと冗談半分に言っておられたのを覚えています。確かに句読点や改行を多用する作品に比べれば文字数は倍以上であったかも知れません。

余談はさておき、その代表作「火垂るの墓」に示されたように野坂さんは生涯一貫して反戦、反体制の精神を持ち続けたお方でした。「焼跡闇市派」を自称し、食糧にまつわる人間の苦しみ悲しみを作品にして来られました。戦中戦後の食糧難に直面し人間の愚かさと悲しみを身を持って体験されたことが反戦と平和を訴え続ける原動力だったのです。

それだけに野坂さんは食についても提言を続けられました。以前このたより(№61)でもご紹介しましたが、食べ物が人間の行動に影響を与えることに言及し「せめて中学あたりまでは子どもの食べるものは親が責任を持つべき」として、豆、野菜、小魚と海藻と米を主食にした伝統食の大切さを言われたこともありました。

今年戦後70年、戦争の悲惨と反省が風化しつつある今、野坂さんのご逝去が残念でなりません。飽食の時代と言われながら私たちの食が劣化していることに不安を覚えてなりません。私たちはいま再び「火垂るの墓」の悲しみを自分の悲しみとして捉え、戦争と食の問題を考え続けなければなりません。合掌。



 <この国に戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう>
            野坂昭如さん逝去直前の言葉

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