信とは何か №358


信とは何か
 平成28年1月17日


   青春行雲逝永遠    のどかな春にゆく雲も
   白秋流水去久遠    静かな秋に流れる水も
   万物流転三界中    時の流れに身をまかせ
   而今一瞬只現前    その一瞬を生きていく
 
突然ですが、もしあなたのご家族の誰かが交通事故で大怪我し、そのすぐ後にまた家族の誰かが急病になったとしたらどうされますか。いや、どうされますかというのは思慮足らずですね。そんな時には誰しも動転し、驚き、嘆き、悲しむというのが当たり前でしょう。神仏を恨み罵ることもあるかも知れません。それが当然だと思います。

 のっけから何故こんな話かと申しますと、実は最近、上に申し上げたと同じような体験をされたお方の話を聞いたからです。立て続けに思いもしない大変な状態になった時、そのお方も恐らくどうしてよいかわからぬほど打ちのめされたに違いありません。大声で泣き叫びたいほどの気持ちだったかも知れません。察して余りあります。

 しかし、そのお方はその時、我が身を捨てて困難に向かい、時を経て一段落した時に「今回のことは観音さまのお計らいであったと思う」と言われたそうです。上に申し上げましたように、自分に不都合なことが起きれば誰しも、何でどうして自分に、と思うのが当り前なのに“お計らい”という言葉。これには心底感銘でした。

 そのお方が「観音さまのお計らい」と言われたのは、あるいは不幸中の幸いと言えるものがあってかも知れませんが、それよりも“まかせる信心”をお持ちだったからでしょう。「信」には「まこと、真実」という意味と「まかせる」という意味がありますが、まかせること、自分の一切をそこに委ねることこそが帰依(南無)なのです。

 冒頭の詩に申し上げた「一瞬を生きる」とはそのことです。無常には自分にとって都合のよいことも悪いこともあります。それらをともに受け取って生きる(じん)(しん)のお方を知って深い敬意を覚えました。合掌です。


    死は 神である 生は 神である 
    自分は ただ 合掌していればいいのだ
                ~八木重吉~



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