梅花考 №357



梅花考
 平成28年1月10日

今年もや 紅梅紅く 咲きにけり 善きことならむ 憂きことならむ

 寒の入り、小寒になりましたが、この冬は暖かですねー。何と境内の紅梅が新年早々に咲いたのです。寺の紅梅が咲くのは例年なら立春の頃ですので一ヵ月も早い開花です。咲いたことは嬉しくても、こうまで早いと果たして、と心配まで覚えてしまいます。

 この冬が暖かくなることは昨秋から予想されてはいましたが、この正月はまさにその予報通りになりました。ま、これから寒中もずっと暖かいということではないでしょうが、各地で一月の最高気温を更新したというニュースや東京では37年振りに三日連続して気温15℃になったという報道に接すると複雑な思いを否めません。

 もちろん、この私も暖冬を実感しています。11月半ばになった手足の霜やけがいつの間にか治ってしまいましたし、朝の坐禅も寒さをほとんど感じません。朝の冷え込みが一番よく分かるのは朝課の時に打つ鐘や木魚の撞木の冷たさですが、今冬は撞木が冷たくありません。これらも助かるという半面、ずるをしているような気になってしまいます。

 話は一気に飛びますが、道元禅師の正法眼蔵に「梅花」という巻があります。この中で禅師は師如浄禅師が説法された「梅はその清らかさも香りも誇ることもなく早春に咲いて春を彩る。老梅樹は無端なり」という言葉を引いて、梅花が仏祖の心華であり真実の実現そのものであると説かれています。

 ここにある「無端」とは「図らずも」という意味でありましょう。夏は夏の暑さを冬は冬の寒さに耐えて春早く清らかで香り高い花を咲かせる梅。しかし梅の木は何の図りごともしてはいません。その花の清らかさも馥郁たる香りを誇ることもありません。ただ寒暑に耐え花を咲かせ実を結ぶのです。

道元禅師は師の如浄禅師と同じように、早春に花開く梅に修行者たるものの心意気と精進の尊さをお感じになったのでありましょう。禅師はさらに師如浄禅師こそ無端の老梅樹との思いから「雪裏の梅華まさしく如来の眼睛(がんせい)なり」と言われます。そのお言葉に思わず身を正す思いがします。
 

しら梅の 明くる夜ばかりと なりにけり
                ~与謝蕪村~

 

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