自由に生きる2 №430


自由に生きる2
平成29年5月1日


 先日のたより(№427)で「自由に生きる」ってどんな生き方だろうと申し上げました。自由に生きることは誰しも望みでありましょうが、森山良子さんのヒット曲「今日の日はさようなら」の歌詞に出てくる「空をとぶ鳥のように自由に生きる」という「自由な生き方」はどう生きればよいのかというのが私の疑問でした。

 その私の疑問の思いを先日の花祭りの折にお話しましたね。私の思う自由な生き方とは結局、お釈迦さまの教え「七仏通戒偈」を守って生きることではないか、中でも「諸悪莫作」に含まれる「噓をつかない」ことではないかと申し上げました。諸悪の中でも私たちが常に意識し努めなければならないのが「嘘をつかない」ことだと思ったのです。

その考えは今も変わりません。「嘘は罪」ではありませんが、嘘は人を騙すと同時に自分をも騙すことになります。その罪は決して軽くはありません。殺すこと、盗むことと同じように心の負担になります。人は心の負担が大きくなればなるほど軽やかには生きられません。当然、自由に生きることは出来ません。

そう考えてふと浮かんだのが、如来寿量品偈に出てくる「柔和質直者 則皆見我身」という言葉でした。これは「心しなやかで素直な者は皆お釈迦様の姿を見ることができる」という意味です。素直な人は囚われがありません。自由自在、何の屈託もありません。だからこそ説法するお釈迦さまの姿を見ることができるというのです。

こうしてさらに思ったことは、私たちがもっと自分の感情を大事に生きるべきではないかということでした。嬉しい時には笑い、悲しい時には泣くことが素直に生きること、ひいては自由に生きることになるのではないかということでした。「泣きなさい笑いなさい」という喜納昌吉さんの「花」はその通りの歌です。
 
 村田英雄さんの「皆の衆」はずばり「嬉しかったら腹から笑え悲しかったら泣けばよい」と言っています。今私たちは自分の感情を素直に表すことを止めていないでしょうか。私たちは人間です。感情の動物です。ロボットではありません。大いに笑い大いに泣く。それが自由に生きることではないでしょうか。
 

   人生楽ありゃ苦もあるさ 
   涙の後には虹も出る 
   歩いてゆくんだ しっかりと
   自分の道をふみしめて
        ~ 「ああ人生に涙あり」~

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