自由に生きる3 №431


自由に生きる3
平成29年5月8日


 このたより前号(№430)で、結局「自由に生きる」というのは、心しなやかに素直に生きることではないか、そして素直に生きるというのは、自分の感情を大事に、嬉しい時には笑う、悲しい時には泣く、ということではないかと申し上げました。その後また考えていて歌にそれがよく表われているように思ったのです。

 考えていて改めて気づいたことは、60年位前までは私たちは今よりずっと泣いていたのではないかということです。最初に思い付いた歌がディック・ミネさんの「人生の並木道」。この歌、出だしが「泣くな妹よ」です。昭和12年の歌だそうですが、題名の通り人生の苦しみに泣いたのでありましょう。

 次に思い付いたのが、昭和30年の春日八郎さんの歌「別れの一本杉」です。この歌ものっけから「泣けた泣けた/こらえきれずに泣けたっけ」です。「あの娘と別れた悲しさに」と続きますからこれは別れの悲しさに泣いたということでありましょう。「石の地蔵さんのよ/村はずれ」という歌詞に往時が偲ばれますね。

 思い出した3つ目の歌は、昭和34年に守屋浩さんが歌った「僕は泣いちっち」です。この歌も題名通りです。「泣いちっち」というのはどこの方言か知りませんが、東京に行ってしまった恋人を思って泣いています。別れというよりフラれた悲しさということでしょうか。「別れの一本杉」とは男女が逆ですが泣いていることは変わりません。

 ところが、それから10年ほどすると、泣き方が変わってくるのです。そのよい例が昭和44年の「男はつらいよ」です。この歌で寅さんは「意地は張っても心の中じゃ泣いているんだ兄さんは」と言っています。続く歌詞には「男とゆうものつらいもの顔で笑って顔で笑って腹で泣く腹で泣く」とありますから声泣きしていないんですね。


 思い付いた歌で判断するのは乱暴極まりありませんが、私たちはあまり泣かなくなったと言えるのではないでしょうか。私はこれを決してよいこととは思いません。泣きたい時には素直に泣くことこそが本来の人間ではないでしょうか。気持ちに素直に生きること。それが自由に生きることではないでしょうか。
 

   人生って結局、笑うことと
      泣くことなのさ。
          ~住職ネコちゃん~







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