潔い死
平成29年4月17日
私には平和の女性同志Kさんがいます。いや現世的に言えば「いました」でしょうか。先月、そのKさんが亡くなってしまったのです。同志Kさんともう平和について話すことができなくなったことに私は痛哭を禁じ得ません。本当に悲しいです。しかし、Kさんはこれから幽明界を異にしても折々に示唆を下さるに違いありません。
私が同志と呼ぶKさんは大学の同級生でした。卒業後何十年も経っての集まりで再会して賀状の交換になり、一年ほど前に私の新聞投稿を目にしてくれてから平和について手紙のやり取りをするようになったのです。Kさんはいつも私の考えに賛同し励ましてくれました。それが有難くて私はKさんを同志と呼んだのでした。
ところが、昨年12月に頂いた手紙に、膵臓がんが見つかったもののすでに転移していて治療は難しいため緩和ケアをお願いした、と書かれていたのです。ご主人とお子さん方にもそれを了承してもらって「私終い」をしていると言われるのです。「手術や入院をせずに過ごすのが願いでしたし、ボケる前に死ねてラッキーと思っています」ともありました。
Kさんが「私終い」と言われたのは、昨年9月のこのたより「お迎え現象」で紹介した緩和ケア医奥野滋子さんがおっしゃった「私終いの極意」、「人との縁を大切にすること」「自分の生き方を肯定すること」「今を大事にすること」「捉われないこと」の四つです。Kさんは「それができているって自信があるんです」と言われるのです。
正直、驚愕驚嘆でした。突然分かった死の病をKさんはどうしてそんなにあっさり受け入れて死の準備をすることができるのか。その潔さに私は言葉を失いました。同時にその手紙に溢れる澄み切った透明感を感じてなりませんでした。その透明感はKさんの生き方、運命への覚悟そのものであったのだと思います。
私は現世での平和の同志を失いました。しかし反面、清々しく世を去った偉大な女性Kさんに敬服の思いで一杯です。がんが分かって三か月、Kさんはその短い間に親しかった人たちに挨拶して回り、好きだったフォークダンスは最後まで続けたそうです。改めてその潔さに拍手しかありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
沢山の素晴らしい友人に恵まれ幸せな一生だったと
すべての方々に感謝しております。
有難うございました。
(Kさんの置手紙)
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