お遍路で考えたこと③お遍路考 №537

お遍路で考えたこと③お遍路考
令和元年5月16日

 お遍路はいつ誰がしたらよいのか。いやそもそもお遍路とは何なのか。今回はそのことを強く考えさせられました。その理由の一つは同じ歩き遍路に会わなかったことです。例年であれば少なくも二三人は歩いている人がいるのに今回は一人も会わなかったのです。

 日本人には会いませんでしたが、電車の中で遍路中というオランダ人女性には会いました。同行のKさんはお遍路外人とみるといつも気さくに話しかけされますが、それによるとその女性はアジアや日本に関心を持ってお遍路を知ったと言います。歩き遍路を主にしているとのことで30㎏はあろうかというリュックの重さも全く気にしていないようでした。

 近年外国人のお遍路はよく見かけるようになりましたが、反対に日本人のお遍路はあまり見ないように思います。これは何を意味するのでしょうか。今回会ったオランダ女性も歩いているうちに何かを考え何かに気づいたことでありましょう。お遍路が人生道場であることは日本人も外国人も変わりはない思います。

 先日(56日)の毎日新聞「余録」にこんな話が載っていました。国立がんセンターの名誉総長、垣添忠生さんが奥さんを亡くして涙にくれる日から七年、慰霊の思いで始めたお遍路がいつしか妻への感謝のお遍路になったと言うのです。垣添さんは歩き始めてすぐ「妻は日々私とともに歩いてくれていたのだ」と気づいたと言います。

お遍路で何を考え何に気づくかは人それぞれです。お遍路は人それぞれです。楽しいお遍路もあるでしょうし苦しいお遍路もあるでしょう。大切なことは人それぞれのお遍路で何を考え何に気づくかです。その考えたこと気づいたことこそその人の人生のヒントです。人生のヒントは自ら探し出すものです。その探し出しがお遍路と言えるでありましょう。

私の師匠の弟子はお遍路に行くことが決まりのようになっています。私も弟子のひとりとしてお遍路に行きましたが、そのお遍路で私はお大師様の実在と人情の有難さを知って仏の存在、人間という存在を改めて考えることができました。こればかりは遍路しなければ分からない、歩かなければ分からなかったと思います
 
 
 お遍路の四国異次元異界なり
 人みな遍路で人生を知る
 

 
 
 
 

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