みすゞさん №578

みすゞさん
令和2年3月10日


 今年2020(令和2)年は金子みすゞさんが亡くなって90年になります。みすゞさんは1930(昭和5)年310日に亡くなりました。満26歳。自死でした。西條八十から「若き詩人中の巨星」とまで言われたみすゞさんですが亡くなった時にはまだ自分の詩集は一冊もありませんでした。当時一冊でも出ていたらと思うのは私ばかりではないと思います。

 みすゞさんは覚悟の死でした。離婚した夫に娘を取られそうになって悩んだ末の死でした。その日、みすゞさんは3歳の娘のために写真館で写真を撮り、桜もちを買って帰りました。そして娘と一緒にお風呂に入って童謡をたくさん歌い、お風呂から上がって母と叔父、娘ふさえとの4人で桜もちを明るく食べたと言います。

 みすゞさんの覚悟の死には当時の女性の立場があります。女性の権利が十分認められていなかった当時は夫の不当な要求に死をもって訴えるしかなかったのでありましょう。でもその時代でもみすゞさんが詩人として社会的な地位を持っていたら別な手段があったかも知れません。私が詩集を一冊でも持っていたならと思うのはその意味においてです。

 その日、みすゞさんはお母さんにも娘ふさえさんにも明るく振舞ったということです。しかし、内心はどんなにさびしく悲しかったことでしょうか。母ミチさんにあてた遺書には「今夜の月のように私の心も静かです」とあったそうですが、そう書いているみすゞさんを思うと一層切なさが思われてなりません。

 みすゞさんに「さびしいとき」という詩があります。「わたしがさびしいときに、/よその人は知らないの。/わたしがさびしいときに、/お友だちはわらうの。/わたしがさびしいときに、/お母さんはやさしいの。/わたしがさびしいときに、/ほとけさまはさびしいの。/という詩です。私がさびしい時やさしくしてくれるのはお母さんだというのです。

 では「ほとけさま」は誰でしょうか。私はほとけさまもお母さんだと思います・私のさびしさをよその人は知らず、お友だちは笑います。しかしお母さんはやさしくしてくれます。それは娘のさびしさを知っているからです。娘のさびしさを知っているお母さんはやっぱりさびしいのです。

 


おかあさまは おとなで大きいけれど
 おかあさまの おこころはちいさい 
  だって、おかあさまはいいました。
  ちいさいわたしでいっぱいだって。

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