諸行無常 №603

 諸行無常

令和2年9月17日 

    吹く風にわくらば散らす桜なり移ろうものはかくの如きか

 つい先日のことです。桜の木の下にいると、さっと吹いた風に桜の葉がびっくりするほど沢山散りました。わくらばです。この時期、わくらばに不思議はありませんが、僅かな風に思いもしない沢山の葉が散ったことには驚きを禁じ得ませんでした。

 その時思いました。それが上の一首です。桜は冬の寒さに耐えて春花を咲かせます。しかし、その花も僅か一週間。そして若葉になり、その若葉は青葉となって繁ります。しかし、八月も下旬となれば葉の一部はわくらばとなって散ります。誠にそのように桜もまた一年のうち一刻も休むことなく移ろいを続けています。

      灼熱太陽覆邑城      灼ける陽ざしが降りそそぎ

      一切万物寂無声      静まり返るものすべて

      其中但行雲流水      ただゆく雲ゆく水のみが

      無常永遠続遊行      無常のことわりそのままに

 上の詩は今年八月法要の法語です。この夏も各地で猛暑でした。40℃になったところもありましたね。そのような暑さになると動物も植物も暑さを忍んでじっと堪えるしかありません。照り返す陽ざしの中に動くものも声を上げるものもなく静まり返ります。しかし、その中にも動くもの逝くものがあります。

 雲と水。行雲流水。その名の通り、雲と水はどんな暑さにも逝くことを止めません。雲は風のまにまに逝き、水は川となって海に流れていきます。しかし実は、暑さに身をひそめる植物や動物も止まったままではありません。動物も植物も雲や水と同じように一刻も休むことのない変化を続けているのです。

 最近、仏教の教えの中で一番大切なことは「諸行無常」ではないかと思うようになりました。全てのものは一刻も休むことなく変化し続けるという教えは自然の摂理、宇宙の真理だと思います。私たち人間もその例外ではありません。生老病死という言葉は私たち人間が移りゆくさまを象徴しているのではないでしょうか。

今日の自分は昨日の自分ではない。

明日の自分は今日の自分ではない。


 

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