「本職は“人間”」№601

 「本職は“人間”」

令和2年9月9日

 先達て、といっても先々月、727日のことですが、この日の毎日新聞に「関 頑亭さん 彫刻家 老衰のため 518日死去・101歳」という記事がありました。私はこの関 頑亭さんという人を全く知りませんでした。お名前はむろん、この方が彫刻家であることもその訃報を読むまでは全く知りませんでした。

 その関 頑亭という方に関心を持ったのはその評伝の最後に「本職はと問うと“人間”と答えた頑亭さん」という一文があったからです。評伝を書かれた明珍美紀さんは、この言葉に続けて「作品に込めたのは心を忘れるなというメッセージだったと受け止めている」と書かれていますので関さんという彫刻家の根底に“人間”があったと捉えられたのでしょう。

 関 頑亭さんは大正8年、東京・()()村(現国立市)に生まれ、17歳の時彫刻家‣澤田政廣さんに弟子入り。21歳の時、応召で満州に渡り、その地で密教を知って以来密教を深められたと言います。しかし、その人柄は飄々としていて周囲の人から「ガンテーさん」と親しまれ、親交のあった山口瞳さんの著作には「ドスト氏」の名前で登場しているそうです。

 しかし、私が関心を抱いた「本職は」と聞かれて「人間」と答えたというのは前後の文脈を考えずに受け止めれば、以前このたよりで紹介した久保田早紀さんの歌「トマト売りの歌」に出てくる歌詞「気楽なもんさ人生なんて商売は」と同じではないか思ったのです。いやむしろ関 頑亭さんの心はトマト売りと同じだったのではないかと思えたのです。

 前にも申し上げましたが、トマト売りが「職業は」と尋ねられたら「トマト売り」と答えるのが普通でありましょう。しかし、歌のトマト売りは「商売は人生」というのです。そうだと思います。人はそれぞれの仕事を持っています。仕事は?と聞かれればその仕事を言うでありましょう。しかし、それは人生という本職のための見過ぎ世過ぎなのです。

 頑亭さんは彫刻家という根底に人間を探究することが本当の仕事であり、それをするための手段として彫刻があると思っておられたのではないでしょうか。これはすべての人、もちろん私たちにも言えることだと思います。私たちの本職は人間であり、その人間たる自分を深めていくのが一生ではないでしょうか。珍重。


「さつま芋のしっぽのヒゲのように細くなって一生を終えたい」

                 関 頑亭

0 件のコメント:

コメントを投稿