「サヨナラ」ダケガ人生ダ №623

 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 令和3年3月21日

 いきなりカミさんの話で恐縮です。孫娘の幼稚園の送り迎えをしてきたカミさんが孫の卒園とともに送り迎えが終わることになって淋しいと言うのを聞いてその気持ちがよく分かる気がしました。カミさんは上の男の子から合わせて6年間幼稚園の送り迎えをしてきましたからそれが終わりになるのは淋しいことに違いありません。

 カミさんが「4月からもう一緒に歩くことができないわねぇ」とつぶやいたら孫娘は「じゃあ小学校まで一緒に歩いたら」と慰めてくれたそうですが、孫の送り迎えがウォーキングになっていたというカミさんにしてみれば孫娘が言ってくれたように小学校まで行きたい気持ちだろうと思います。孫娘の送り迎えがそれほどに楽しいひとときであったのでしょう。

 でも考えていてカミさんが言う淋しさは惜別の淋しさではないかと思いました。幼稚園の送迎がなくなっても孫娘と一緒に暮らすことに変わりはありません。しかし、孫娘の健やかな成長に喜びと感謝を感じていた送り迎えの楽しい時間がなくなるというのは人生途上の一つの別れであり、その惜別の思いに淋しさが伴うのは当然だろうと思います。

 別れの酒を詠った()()(りょう)の「勧酒」(勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離)。その転句と結句を井伏鱒二さんは『ハナニアラシノタトヘモアルゾ「サヨナラ」ダケガ人生ダ』と訳されました。眺めていたい花が一夜の風に散ることがあるように人生には思いもしない別れや泣く泣くの別れがあります。悲しいけれどそれが人生なのです。

 別れと出会いの3月、若い皆さんの中にはこの3月に中学・高校、大学を卒業された方もお出でと思います。学びや遊びを共にした友人との別れに淋しさ悲しさを覚えた方も多いことでしょう。ひょっとしたら今回の別れが今生の別れになってしまうかも知れないのです。淋しさ悲しさを感じて当然です。

 でも思って下さい。別れは別れだけには終わりません。別れは新しい出会いの第一歩なのです。若い人にとっては特にそうです。一つの別れは一つの成長のあかしです。人はみな別れを積み重ねて成長していくのです。別れがあるから出会いがある。それを繰り返していくことこそが私たちの人生なのです。

 

    

 Bon voyage(道中ご無事に)

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