愛 語
令和3年3月3日
下関市にお住まいの方なら毎週金曜日に発行されている「ほっぷ」というタウン紙をご存知と思います。新聞に載らないような小さな催しが紹介されていますので毎号興味深く拝見しておりますが、これから益々草の根運動が大切になる時ですから皆さんお住まいのどこでもこのような地域紙が果たす役割は大きいだろうと思います。
私も上の意味でこの「ほっぷ」を拝見していますが、実は“毎号拝見”にはもう一つ訳があります。それは「読者の広場」を読みたいのです。さらに言えばそこに寄せられた投稿に対するコメントを読みたいのです。いつも思うのですが、この「ほっぷ」の投稿に対するコメントが温かくて読む人をほっこりさせてくれるのです。
で過日、そのほっこりコメントさんに「どうぞ今年もほっこりコメントを続けて下さい」とおハガキを差し上げたのです。そうしましたら何とそのハガキを投稿として掲載して下さり、そこに「めちゃくちゃやる気でました。これからもほっこりさせられるようなコメントしますね」と書いて下さったのです。
思いもしないことに嬉しかったのは申し上げるまでもありません。コメントにほっこりさせられているという私の正直な気持ちにコメントさんがやる気を持って下さったことに私自身がうれしさを感じないわけにはいきませんでした。そしてその時、道元禅師が言われた「愛語」という言葉を思い出しました。
正法眼蔵を基に編集された「修証義」の第四章に「愛語」という言葉が出て来ます。道元禅師はこの愛語についてこう言われます。「愛語というは衆生を見るに先ず慈愛の心を発し顧愛の言語を施すなり、(中略)面いて愛語を聞くは面を喜ばしめ心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず」と。
この言葉を聴くと他人に対する優しい言葉褒める言葉が今も変わらず他人を勇気づけ、やる気を起こさせるものであるかと痛感させられます。どうぞ皆さまほっこりさんに倣ってこれからもご両親ご主人様奥様息子さん娘さんお孫さん方に愛ある言葉誉め言葉を連発して下さい。それは必ずよい力になってあなたに返ってきます。
愛語能く廻天の力あることを
学すべきなり
<修証義>
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