原発事故10年 №622

 原発事故10

 令和3年3月11日

  東日本大震災から10年になりました。この10年で見た目復興したものもあります。しかし、今なお被災当時そのままに残されているところもありますし心の傷を抱えたままの人もいます。思えば福島宮城岩手の3県とそこに住む人たちが物心両面に受けた震災の被害が如何に大きなものであったかと改めて思わざるを得ません。

 思い出したくもない忌まわしい記憶を忘れたいと思っている被災者も多いことでありましょう。その一つに福島原発事故があると思います。津波で制御できなくなった原発の映像を固唾を呑んで見守った方も多いと思いますが、あの時の恐ろしさは福島の方だけでなく日本中の方が感じたのではないかと思います。

 絶対と言われていた安全神話の崩壊を目の当たりにして私たちは原発NO!と思いました。メルトダウンと水素爆発を起こした1号機が大変な状態にならなかったのは奇跡的な幸運であったと言われていますが、当時はそれほどに戦慄的な状況であったのです。時の民主党政権が将来的な原発ゼロを打ち出したのも当然でありました。

 しかし2012年に発足した第2次安倍政権は原発回帰を露わにし、昨年この政権を受け継いだ菅政権も原発回帰を引き継いでいます。今なお原発をやめようとしない政治家の気は確かかと思われてなりません。気は確かと言うならば原発事故の重大さを正しく認識していないとしか思えません。時代逆行の愚かな政治でありましょう。

 いま柏崎刈羽原発の再稼働が取り沙汰されています。菅首相も脱炭素の名のもとに原発再稼働を進めようとするでありましょうがその根底にあるのは電力単価が低いという欲です。日本の電力会社が一社として脱原発を打ち出していないのはその欲であり、事故になっても国が処理金を出してくれるという安易な依存ではないでしょうか。

 原発事故10年。私たちは原発事故の恐怖と教訓を風化させてはならないと思います。原発事故の恐ろしさを改めて噛みしめ原発ゼロを目指さなければなりません。そのためには私たちが我慢や努力を強いられることもあると思います。それを覚悟して原発をやめなければなりません。それは原発事故を目の当たりにした者の責任です。



欲の海 そこに漂う 泥船の

  沈んだ後に 生きるものなし

 

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