再び「早寝早起き」のすすめ №631

再び「早寝早起き」のすすめ

 令和3年5月17日

  相変わらずのコロナ。今一番の心配は変異株が蔓延して昨年同然になってしまうのではないかということ。大阪や東京初め幾つかの府県では変異株の感染者が急増していて変異株による感染爆発が危惧されています。今月31日まで延長された4都府県の緊急事態宣言には新たに愛知福岡の両県が加えられましたが拡大は抑えられるでしょうか。

 しかし、そもそもコロナウイルスはどうしてパンデミックをもたらしたのか。一次宿主がコウモリなどの野生生物であるならば、それらの生物と現在の社会はどのように関係しているのか。なぜコロナウイルスは一次宿主に留まらずに人類にまで及んだのか。それこそがコロナウイルスの課題ではないでしょうか。 

 中国四川省や雲南省の奥地で30年以上、植物や昆虫などの調査を続けてこられた生物研究家の青山潤三さんは「はるかな過去から引き継がれてきた自然との共存に舵を切ること、それこそが必要だと思います」と言われています。コロナの教訓はまさにこのことにあるという気がしてなりません。「自然との共存」こそが求められているのではないでしょうか。

 話が一気に飛躍しますが、自然との共存ということを考えていて私が思いついたのが「早寝早起き」なのです。自然に親しみそこに存在している草花や鳥や虫を知るための第一歩になるのが早寝早起きではないかと思うのです。早寝早起きは人間と自然とのつながりを知ることです。生活を自分のものにするということです。

 実はこの言葉、10年前に東日本大震災のことを考えた時にも申し上げたことがありました。その時には省エネ・節電と健康を意識して申し上げたのですが、今回は自然との共存を意識するための一助として提案したいのです。人間が地球上の生物の一つに過ぎないことを改めて知るための第一歩として提案したいのです。

 産業革命以後、人間は「早い便利安い」というニセの豊かさを追求してきました。その結果もたらされたのは多くの生物の絶滅と気象異変など人類の生存に関わる地球規模の現象でした。私たちはそれを反省して自然との共存を再構築しなければなりません。私はその第一歩が一人ひとりの「早寝早起き」にあると思います。

 

   早寝早起きは「SDGs」

   そのものではないかニャー

「送り迎え」後談 №630

 「送り迎え」後談

 令和3年5月8日

  私事で恐縮でしたが、先日のたよりで孫娘の幼稚園の送り迎えが終わりになってしまうことに淋しさを感じているというカミさんの話を申し上げました。カミさんにしてみれば上の子から6年間続いた楽しい送り迎えが終わりになることに言い難い淋しさがあったのでしょう。その思いには私も共感するものがありました。

 とこの度、私が仕事時代お世話になったI先生の奥様からカミさんの淋しさに寄り添う有難いお手紙を頂きました。そこには「奥様、長い間二人のお孫さんの送り迎えが終わり淋しくなりますね。でもこれからが本番、違った形で楽しいことを経験させてもらえますよ」と書いて下さってありました。

 私はその奥様の言葉に思わず「目から鱗が落ちる」思いがしました。カミさんも同じ思いであったのでしょう。早速カミさんと娘から「奥様がおっしゃるように温かな気持ちになることを沢山経験させて貰えるかと思うと楽しみです」「すてきなお言葉に心躍りました」とメールがありました。よほど嬉しかったのでしょう。

 お聞きしたら手紙を下さった奥様もお孫さん二人の送り迎えを学童までされたのだそうです。のみならず学校行事にはできるだけ参加し若いお母さん方と交流することが楽しかったとのこと。お手紙に書いて下さった言葉はご自身の経験があってのことだということが分かりました。「目から鱗」は体験に基づくものでありました。

 今回の奥様の言葉はカミさんにとって何よりの励ましになりました。これからなんだ、という教えを頂くことになりました。これが愛語。これこそが愛語だと思います。ふさぎ込みそうになっている人の心を励まし勇気づけるのが魔法の言葉、愛語に他ならないと思います。奥様からその魔法の言葉、愛語を頂いたと思います。

 先達ても申し上げましたが、道元禅師は私たち衆生を利益(りやく)すること4つの一つに「愛語」を言われました。「(むか)いて愛語を聞くは(おもて)を喜ばしめ心を楽しくす、(むか)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず」と言われました。人を楽しくさせ勇気づけ励ます力を持っているのが愛語だとおっしゃるのです。奥様のお手紙に感謝です。

 

愛語能く廻天の力あることを

  学すべきなり  

                                             <道元禅師>

 


 

 

再び「原発事故十年」 №629

 再び「原発事故十年」

 令和3年5月1日

 413日、政府は原発事故の汚染水を海に放出することを決めました。全魚連の岸会長と菅首相が7日に会談してから僅か1週間後です。漁業関係者は一貫して海洋放出に反対しており7日の会談でも岸会長は明確に海洋放出に反対したにもかかわらずです。漁業関係者ならずとも納得できることではありません。

 政府は意図的に汚染水という言葉を避け、処理水と言う言い方で海洋放出に問題がないと言います。汚染水で一番懸念されているトリチウムについては国の放出基準の40分の1未満に薄めることによりその放出量は福井県の高浜原発など同じ型の原発や海外の原発に比べても多い方ではないと言います。

 放出汚染水の安全性を強調したい余りに麻生財務相は放出水は飲んでも大丈夫と言って中国の高官から「それは飲んでから言って頂きたい」と逆襲されましたがそれも当然でありましょう。飲んでも大丈夫と言っている当人がそれを実証しなければ信用できないのは無論です。政府が言う安全性にはやはり疑念が残るのです。

 政府が言うように汚染水を海に放出しても安全ならばどうしてこれまでそれをしなかったのかと誰しも疑問に思うでありましょう。その答えは明らかです。それはトリチウム以外の放射性物質の濃度も現在なお国の基準を超えているというのが事実だからです。それで海への放出が安全だとどうして言えるのでしょうか。

 この問題に関連して原発関係者に質したいことがあります。それは汚染水一つの事故処理も出来ていないのに原発の再稼働や新設がどうして考えられるのかということです。ウソだった安全神話。一たび事故になれば莫大な金額どころかこの汚染水のように処理方法が分からないものまで出てくることをどう思っているのでしょうか。。

 汚染水放出を論じた放送タレントの松尾貴史さんが「これは日本の問題ではなく、地球人として抗議しなければならない」(4/18毎日新聞)と言っていますが、全くその通りだと思います。地球環境を破壊し地球上の生物に危害をもたらす恐れのある汚染水の海洋放出を政府の言いなりに認めることは許されません。


汚染水の垂れ流しが水俣病をつくった。

その悲劇を忘れてはならない。